本の覚書

本と語学のはなし

振り返る8月

振り返る8月

 今月はほとんど休みがなかった。これほど忙しいのは、今の仕事に就いてから初めてのことだ。何もできてはいないが、それでも一応今月の活動を振り返ってみる。

▼岩波聖書翻訳委員会訳の通読を始めた。外典等も少しずつ読み進めて行く。
▼職場では旧約を新共同訳で。新約は文語訳で読み始めたのだけど、パウロで挫折。聖書の他に和書も1冊持っていくことにした。
▼日本古典文学はたまに『源氏物語』をちょっとだけ。
ヘブライ語は『旧約聖書』。ラビ文献までは手が出せないだろう。
ギリシャ語は『新約聖書』。たまにはホメロスプラトンも読みたい。
ラテン語アウグスティヌス『告白』。たまにはウェルギリウスも読みたい。
▼フランス語はスタンダール『赤と黒』。今のところ専らフランス文学でよい。
▼ドイツ語はタイセン『新約聖書』。新約学を学ぶならドイツ語が一番重要そうだ。
▼英語はクロッサン『イエスとは誰か』。英語も新約学のために使うことになるだろうけど、英米文学にも未練はある。
▼メインの読書を英語(とドイツ語)に移行する実験を始めた。で、和書はできるだけ職場で読む。いろいろハードルはあるけど、どういうスタイルが一番いいのか試してみなくてはならない。やることが多すぎて、このままではすべて中途半端に終わってしまいそうだ。

振り返るキリスト教学習への道

 ところで、なぜ私はキリスト教に舞い戻ったのか。簡単に振り返ってみる。

▼始まりは去年の春。漢詩の読み下し文に飽き足らず、音を楽しむために中国語を学び直すことにした。
▼語学熱が再燃し、今後も参照するだろう言語の文法を再確認するとともに、かつてやりたいと思っていたのにやらずじまいだった、あるいは中途半端に終わっていた言語も学んでみることに。
ヘブライ語は学生の頃、神父さんに「あまりこだわらない方がよい」といい顔をされなかったのだった。当時は余裕もなかったので、結局手をつけなかった。今回が初めての挑戦である。
カトリックって何なのだろうか。キリスト教って何なのだろうか。もう一度洗い直したくなり、入門書を読み始める。
▼どうせなら新約聖書旧約聖書も原典で読んでしまえ。
ギリシャ語、ヘブライ語ラテン語、英語、ドイツ語、フランス語をフルに使って出来る学問で、メインターゲットとなる一次資料(新約聖書)が手頃な分量で、かつ語学的にも比較的易しく(独特の問題はあるが)、とりあえず信仰を括弧に入れることができる(ないものを取り繕う必要もない)という安易な理由で、文献学としての新約聖書学に力を入れてみる。
▼実際にはそんなに簡単なものではないが、まあネストレを使いこなして聖書本文を読むことができて、史的イエスから原始キリスト教への流れが自分である程度納得できるようになれば、それで良しとしよう。

 要するに、別に信仰に導かれたわけではない。しかし、こんなことをやっていては、カトリックであれプロテスタントであれ、教会に復帰することはできないだろうなあ。