本の覚書

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旧約聖書Ⅰ 創世記/旧約聖書翻訳委員会訳

旧約聖書〈1〉創世記

旧約聖書〈1〉創世記

 岩波の聖書翻訳委員会訳を通読することにした。分冊版なので、分厚い合本に取り組むのとは違い、普通の読書と同じ感覚。挫折しにくいかもしれない。
 委員会訳ではあるが、個々の文書の訳者は明示されている。『創世記』は月本昭男の訳。

注釈

 適度に注釈がついているのはありがたい。特定の宗教・教派の信仰理解を前提としないという不偏性を売りにしているので、注もまた割に言いにくいことまで言ってくれることがある。
 ヤコブがラバンの羊から縞やぶちやまだらのものを生ませるために用いた手段(30章)。今まで単に呪術的な何かとしか考えていなかったけれど、呪術なりに意味のあることだと初めて知った。

37 彼は白ポプラの若枝およびアーモンドと鈴懸〔の若枝〕を取り、その皮を剥き、それらの枝の表面に白の剥き出しを作った。
38 彼は皮を剥いたそれらの枝を、羊の群れが水を飲みにやって来るとき、羊と差し向かいになるように、水ぶねの溝のなかに据えた。はたして、羊は水を飲みにやって来ると、発情した。
39 羊はその枝に向かって発情した。そして羊の群れは縞とぶちとまだらを生んだ。

 37節の注。「『白(ラバン)の剥き出しを作る』は『ラバンを裸にする』に通じる。一種の類間呪術的行為」とある。そりゃあ、注がなければ分からない。
 38節の注。「皮を剥いた若枝と羊のペニスとの連想からくる一種の類間呪術」とある。本当かどうか知らないが、もし本当だったとしても、ふつう聖書の注釈に載せられるものではない。フランシスコ会訳の合本版では「巧妙な工夫」としか書いてないし、バルバロ訳に至っては、ヤコブは人為的に動物を淘汰する術を知っていた(科学的に)が、公にすることを好まず、表向きは「しまの木の皮で事実をおおったのかもしれない」と推測している!

代名詞

 本来代名詞で訳すべきところを、固有名詞(例えばヨセフ)や普通名詞(例えば父親)に置き換えたところは、すべて注釈で断っている。これは意外に大事なことである。
 ペヌエルでのヤコブの格闘の場面(32章)、新共同訳では以下のようになっている。

25 ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。
26 ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの股の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。
27 「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」

 一方、岩波の訳。

25 ヤコブは、しかし、一人だけ〔対岸に〕残った。すると、ある男が暁が明けるまで彼と格闘した。
26 その男は彼に打ち勝てないとみるや、彼の股のつがいを叩いたので、格闘の最中に、ヤコブの腿のつがいがはずれた。
27 彼は言った、「私を放してくれ。暁が明けてきた」。彼は言った、「私を祝福しなければ離さない」。

 26節の「その人」も「その男」も原文では「彼」であるというが、これは問題がない。
 27節で新共同訳が「その人」と「ヤコブ」としているところ、岩波ではいずれも「彼」である。原文が「彼」であるのをあえて特定の主語に同定しないのは、どちらとも解釈できる謎めいた文だからであり、謎は謎のまま残しておこうということである。
 前の方の「彼」につけられた注釈を見ると、「『彼』は『ある男』とも解せ、謎めく(次文も)」とあるので、一応は前者を「ヤコブ」、後者を「ある男」、すなわち新共同訳とは逆の立場を取っているようではあるが。