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ギリシャ語聖書

Textual Commentary on the Greek New Testament

Textual Commentary on the Greek New Testament

 Kurt Aland編『The Greek New Testament』(United Bible Societies)。
 Bruce M. Metzger『Textual Commentary on the Greek New Testament』(United Bible Societies)。

 新約聖書ギリシャ語テキスト本文とその異読を解説したもの。
 テキストはネストレと同じくアーラントが参加して校訂しているので、基本的にネストレと同じ。違うのは、アパラトゥスに載せた異読が見やすくなっていること。確からしさの度合いまでランク付けされていること。さらに、メッツガーが別本をつくり、それぞれの異読について簡単な解説を加えてくれている。素人にとっては心強い味方だ。

翻訳者向け

While the Nestle-Aland Novum Testamentum Graece is designed for scholarly research, the Greek New Testament, 4th Revised Edition is designed for translators and students.

 アマゾンに載せられたUBS(The Greek New Testament)の紹介文である。ネストレが学者向きであるのに対して、UBSは翻訳者や学生向けであるという。学生向けはともかくとして、翻訳者向けというのはいかにもという感じ。英語圏では殊に、新約学者ではない人が聖書の翻訳をすることが多いらしい。
 それで田川建三がUBSを激しく非難するのである。こんなものは植民地支配のギリシャ語テキストであると(詳しくは『書物としての新約聖書』406頁以下参照)。

異読紹介

マタイ福音書17章2節

 先ずは新共同訳でマタイ福音書17章2節の内容を確認しておく。イエスの変容の場面。私の個人的意見だが、キリスト教徒であるためにこういうことを額面通りの事実として受け取る必要は別にない。

エスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。

 ギリシャ語本文は、ネストレとUBSとで全て一致する。時々句読点やパラグラフの切り方でちょっとした違いがある程度なので当然だが。

καὶ μετεμορφώθη ① ἔμπροσθεν αὐτῶν, καὶ ② ἔλαμψεν τὸ πρόσωπον αὐτοῦ ὡς ὁ ἥλιος, τὰ δὲ ἱμάτια αὐτοῦ ἐγένετο λευκὰ ὡς τὸ φῶς ③ .

 数字はこの後の説明の便宜のために、私が挿入した。
 この部分を選んだのは、つい最近読んだからという以外の理由は全くない。

ネストレ

 先ず①の部分、西方型のベザ写本ではμετεμορφωθεις ο Ιησουςとなっている。定動詞が分詞になり、定冠詞つきのイエスが主語として明示されているのである。
 次に②の部分、同じくベザ写本ではκαιが消失している。
 もちろん①と②とは連動しているのである。元のテキストが、「そして彼らの前で〔イエスが〕変容した。そして彼の顔が太陽のように輝いた」と、ややぎこちなく2文で書かれているのを、前者を分詞構文にして1文にまとめたのだろう。ギリシャ語の発想としては、その方がすっきりする。
 ただし、前文と後文とで主語が違うから、前の方にイエスを補わなくてはならなかった。そこまでするなら、古典文法に忠実に属格の絶対分詞構文にしれくれた方が芸が細かかったかもしれないが、新約の文法書を見ると、こういう構文は新約ではままあるらしい。

 マタイであればバチカン写本とシナイ写本が最重要で、両者が一致していれば基本的にその読みが採用される。
 また、文献学にはより困難な読みを採るべしとの原則がある。ベザ写本の読みは、本文のギリシャ語としてのぎこちなさを解消しようとする方向に意識が働いたのだと説明できるが、逆にベザ写本の読みから他の写本の読み(つまり下手くそなギリシャ語)へと書き換える理由は考えにくい。
 したがって、ここでは問題なくネストレとUBSの本文を信頼してよさそうだ。

 最後に③の部分、アパラトゥスには「(28,3) χιων 」と書かれている。
 ベザ写本や古ラテン語訳、シリア語訳などではτο φως (光)の代わりに、χιων (雪)が現れるというのだが、ギリシャ文字の前にある数字はそれについての参照箇所を表している。
 そこでマタイ福音書28章3節を見ると、「その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった」とある。あとは自分で原則を当てはめて考えてみればよい。

UBS

 UBSでは①と②は省略されている。まったく問題にならないということだろう。少なくとも、学生や翻訳者などが気にする必要はない。

 ③の部分、τὸ φῶς をAにランクづけし、この読みが現れる主要な写本をずらりと並べている。
 ちなみに、Aは本文に採用した読みがほぼ確かなもの、Bはもしかすると欄外の異読の方が本文であるかもしれないもの、Cはどちらを採用すべきかかなり疑問なもの、Dは非常に疑問の度合いが高いものだそうだ(『書物としての新約聖書』413頁)。読みの確からしさは権威ある聖書学者が決めてくれるというわけだ。
 異読としてはχιών が挙げられ(UBSでは異読にもアクセント記号を付けてくれている!)、28章3節を参照せよとあり、この読みが現れる写本が列挙される。
 確かに親切だ。

UBSへのコメンタリー

 メッツガーはさらに親切の上塗りをしてくれる。

 τὸ φῶς  {A}
 Instead of τὸ φῶς , which is strongly supported by witnesses representing all types of text, several Western witnesses recollecting what is said in 28.3, make the comparison in terms of the clothing being “white as snow” (χιών ).

 聖書の写本にはアレクサンドリア型とか西方型とかビザンチン型とかいった型が存在するのだが、τὸ φῶς はその全ての型(all types of text)に現れる強固な読みであって、当然Aにランク付けされるべきものである。
 ところが一部の西方型写本(代表的なD、すなわちベザ写本の名は挙げない)は、光が白いというのはピンと来なかったのか(とは書いてないが)、マタイ福音書28章3節で服の白さを「雪のよう」と形容していたのを思い起こして、書き換えてしまったのだ。

 こうやって見てくると、確かにネストレさえ使いこなせれば、UBSもそのコメンタリーも別になくてもいいものかもしれない。あるいは、ネストレを使いこなすための補助として利用するべきものだろう。