どうしても古文を捨てるわけにはいかないらしい。語学好きではあるが決して才能があるわけではないので、もう少し老いが進行すれば古文しか読めなくなる時が来るように思うのだ。数日前からまた『源氏物語』を再開している。「朝顔」の巻。
『源氏』といっても全て「もののあはれ」で尽くされているわけではない。時々は箸休めに滑稽な描写でくすりと笑わせたりもする。
朝顔の姫君に会いに女五の宮のところに赴いた時のこと。
宮も欠伸うちしたまひて、「宵まどひをしはべれば、ものも聞こえやらず」とのたまふほどもなく、鼾とか、聞き知らぬ音すれば、よろこびながら立ち出でたまはむとするに……
真っ直ぐ朝顔の姫君のところに行くわけにもいかないから、先ずは年老いた女五の宮の話を聞くのだが、古い話やら何やらばかりで眠くなる。そうこうする内、女五の宮もあくびをして「夕方から眠くなる(宵まどひ)のだ」というが早いか、いびきと言うのか何と言うのか、聞いたこともないような音がするので、源氏はこれ幸いと席を外そうとするのである。
そこに登場するのが源典侍(げんのないしのすけ)である。好色の熟女で、「紅葉賀」に詳しく源氏や頭中将(当時)との因縁が物語られている。その時ですら、まぶたは黒ずんでへこみ、髪は大そうそそけていると言われていた。
今は女五の宮の弟子として、尼になっているらしい。源氏が今も彼女に恋をしていると勘違いしているようだ。
いとど昔思ひ出でつつ、古(ふ)りがたくなまめかしきさまにもてなして、いたうすげみにたる口つき思ひやらるる声づかひの、さすがに舌つきにて、うち戯(さ)れむとはなほ思へり。
昔を思い出したか、以前と同様にしなをつくり、すぼんだ口が思いやられるような声で、さすがに呂律も回らず(あるいは、甘ったれたような喋りで)、戯れかかろうとする。
補足をしておくと、「すげむ」は辞書によれば「老人の歯が抜けて、口のまわりがすぼまる」こと。それが思いやられるというのは、当時の習慣として男女が面と向かって話をするわけではないから、源氏は老女の発音から老いさらばえた口元を想像してしまうのである。
「舌つき」は「物言いがはっきりしないこと。甘えたしゃべりかた。舌足らず」のこと。新潮日本古典集成の注では、歳を取って呂律が回らなくなったのだと解しているが、角川文庫の訳では、歳を取ってもなお舌足らずの甘ったるい喋り方をしているのだと解している。