本の覚書

本と語学のはなし

創世記第3章15節

新共同訳の場合

お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に
わたしは敵意を置く。
彼はお前の頭を砕き
お前は彼のかかとを砕く。

 女を誘惑し知恵の木の実を食べさせた蛇に対して、神が呪いの言葉を発するところである。

 上に示したのは新共同訳であるが、3行目の代名詞、日本語の翻訳では例外なく「彼」と訳しているようだ。
 確かにヘブライ語の原文ではフーという人称代名詞が使われており、「彼」には違いないのだけど、これは「子孫」という男性名詞を受けているだけのことだ。
 それを殊更「彼」としたのでは、普通の日本語にはならない。

TOBの場合

Je mettrai l’hostilié entre toi et la famme, entre ta descendance et sa descendance. Celle-ci te meurtrira à la tête et toi, tu la meurtriras au talon.

 例えばTOB(フランスの共同訳)では、「子孫」の訳に女性名詞を使っているため、これを受ける代名詞もcelle-ciと女性形になっている。それだけのことである。

 エルサレム聖書(フランスのカトリック訳)では「子孫」にlignageという男性名詞を当てているため、代名詞は必然的にilとなっている。これも文法の要求として当然のことであり、それだけのことである。
 ただし、この場合は、ilを使いたいがために男性名詞のlignageという語を選択した可能性もなくはないが。

NABの場合

 何が言いたいかといえば、「子孫」とは、普通に解せばエバの子孫たる全人類を指すのだろうということである。NAB(アメリカのカトリック訳)の英訳には、それが明瞭に表現されている。

I will put enmity between you and the woman,
and between your offspring and hers;
They will strike at your head,
while you srike at their heel.

 ここでoffspringは個々の構成員を念頭に置いた集合名詞として捉えられている。したがって、これを受ける代名詞は複数形のtheyが使われるのである。

 JPSユダヤ出版協会)というキリスト教的解釈には何ら関心のないであろう団体の出しているヘブライ語聖書の英訳を見ても、ほぼNABと同じ翻訳であり、「子孫」にはoffspring、それを受ける代名詞にはtheyを用いている。
 つまり、ユダヤ教から見ても、それが恐らくは最も自然な解釈なのである。

七十人訳の場合

 ではなぜ日本語訳がこぞって「彼」と訳し、間違えようもなく「女の子孫」とは特定の1人の人物であると宣言しているのかといえば、キリスト教の解釈の伝統があるからである。

 最初はリヨンのエイレナイオス(A.D. 130-200頃)だったという。創世記のこの箇所は、人の子としてのキリストが悪魔に対して最終的に勝利を収めることを示した原福音であるというのだ。だからどうしてもヘブライ語のフーは1人の「彼」でなくてはならない。
 この解釈は教父たちの広く受け入れるところとなった。

 おそらくこの解釈を促した要因の1つが七十人訳である。

καὶ ἔχθραν θήσω ἀνὰ μέσον σου καὶ ἀνὰ μέσον τῆς γυναικὸς καὶ ἀνὰ μέσον τοῦ σπέρματός σου καὶ ἀνὰ μέσον τοῦ σπέρματος αὐτῆς· αὐτός σου τηρήσει κεφαλήν, καὶ σὺ τηρήσεις αὐτοῦ πτέρναν.

 「子孫」を表すのに使われているのはスペルマという中性名詞である。これを受けるなら本来中性の人称代名詞でなくてはならない。
 ところが、ここではアウトスという男性単数形が用いられている。可能性としては、単にヘブライ語のフーを直訳しただけというのが一番ありそうに思われる。あるいは「子孫」を集合的に男性単数で代表させたか。それとも当初からメシア的な読み込みがなされていたのだろうか(その場合でも、ナザレのイエスのようなメシアを念頭に置いていたわけではないだろうが)。
 いずれにしろ、いったんアウトスと訳されたものはもう仕方がない。それが特定の「彼」となるまでには、あと一歩である。

ウルガタ訳の場合

inimicitias ponam inter te et mulierem
et semen tuum et semen illius
ipsa conteret caput tuum
et tu insidiaberis calcaneo eius

 面白いのはウルガタ訳である。
 「子孫」はセーメン。中性名詞である。ところが、その後に出てくるipsaは女性形である。
 なぜこんな訳が出てきたのだろうか。フランシスコ会訳の注では単に誤訳としているが、ヘブライ語人称代名詞の男性単数のフーと女性単数のヒー*1というのは、母音記号がつかなければ(当時はまだ母音記号は存在しない)しばしば全く同じ綴りになるのである。「彼」と読みたいのであれば、同じ権利を持って「彼女」と読んだって構わないのではないだろうか。
 そして、この「彼女」は当然聖母マリアと同定されていく。

ヘブライ語の原文

 最後にヘブライ語の原文を。

וְאֵיבָה אָשִׁית בֵּינְךָ וּבֵּין הָאִשָּׁה וּבֵּין זַרְעֲךָ וּבֵּין זַרְעָהּ
הוּא יְשׁוּפְךָ ראֹשׁ וְאַתָּה תְּשׁוּפֶנּוּ עָקֵב

*1:紛らわしいが、ヒーは「彼女」、フーは「彼」、そしてミーは「誰」である。