本の覚書

本と語学のはなし

参照する日本語訳~新約篇

 新約聖書の原典(語弊があるかもしれないので言い換えると、写本から本文批判によって再構成され、権威あると認められているテキスト)を読むときに、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ラテン語の翻訳は、面倒でも当面必ず参照するつもりでいる。
 だが、手元にある日本語訳まで全部調べるのは億劫だ。いくつか振り落していかなくてはならない。
 マタイによる福音書6章43節から45節を比較してみる。

ギリシア語の原文

Ἠκούσατε ὅτι ἐρρέθη· ἀγαπήσεις τὸν πλησίον σου καὶ μισήσεις τὸν ἐχθρόν σου.
ἐγὼ δὲ λέγω ὑμῖν· ἀγαπᾶτε τοὺς ἐχθροὺς ὑμῶν καὶ προσεύχεσθε ὑπὲρ τῶν διωκόντων ὑμᾶς,
ὅπως γένησθε υἱοὶ τοῦ πατρὸς ὑμῶν τοῦ ἐν οὐρανοῖς, ὅτι τὸν ἥλιον αὐτοῦ ἀνατέλλει ἐπὶ πονηροὺς καὶ ἀγαθοὺς καὶ βλέχει ἐπὶ δικαίους καὶ ἀδίκους.

 斜体になっているのは、この部分(「あなたの隣人を愛せよ」)のみが旧約からの引用であることを示しているようだ。

フランシスコ会

あなた方も聞いているとおり、『あなたの隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
しかし、わたしはあなた方に言っておく。あなた方の敵を愛し、あなた方を迫害する者のために祈りなさい。
それは、天におられる父の子となるためである。天の父は、悪人の上にも善人の上にも太陽を昇らせ、正しい者の上にも正しくない者の上にも雨を降らせてくださるからである。

 フランシスコ会訳は私のベースと決めているので、これは必ず読む。

新共同訳

あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。

 フランシスコ会訳と大きくは違わないが、代名詞を省略して簡潔にする傾向があるのかもしれない。これも必ず参照するべきだろう。

口語訳

『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。

 口語訳は気になるときだけ確認すればよいかな。

文語訳

「なんぢの隣を愛し、なんぢの敵を憎め」と云へることあるを汝等きけり。
されど我は汝らに告ぐ、汝らの仇を愛し、汝らを迫むる者のために祈れ。
これ天にいます汝らの父の子とならん為なり。天の父は、その日を悪しき者のうへにも善き者のうへにも昇らせ、雨を正しき者にも正しからぬ者にも降らせ給ふなり。

 口語訳を必須にしなかったのは、文語訳を読みたいからである。もちろん語学的な理由ではない。
 ところで、来月、岩波文庫から文語訳の新約聖書詩篇付き)が出版される。日本聖書協会のを持っているから必要ないが、付録の資料次第では買うべきかもしれない。

新改訳

『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも、雨を降らしてくださるからです。

 好みの文体ではないが、広く普及しているにもかかわらず、全く読んだことがなかったので、暫く参照してみる。

岩波聖書翻訳委員会訳

お前の隣人を愛せよ、『そしてお前の敵を憎め』と言われたことは、あなたたちも聞いたことである。
しかし、この私はあなたがたに言う、あなたたちの敵を愛せよ、そしてあなたたちを迫害する者のために祈れ。
そうすればあなたたちは、天におられるあなたたちの父の子らとなるであろう。なぜならば父は、悪人たちの上にも善人たちの上にも太陽をのぼらせ、義なる者たちの上にも不義なる者たちの上にも雨を降らせて下さるからである。

 注釈も含めて必ず読む。「お前の隣人を愛せよ」はレビ19:18の引用だが、「そしてお前の敵を憎め」の部分は旧約にはない。しかし、クムラン教団の文書には見つかるという。
 「この私」と強調しているのは、省略されるのが普通の主語人称代名詞が、あえて省略されていないのだから、きちんと訳さなくてはいけないということだろう。

共同訳

あなたたちも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』(レビ19:18)と命じられている。
しかし、わたしは言っておくが、敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
それは、あなたたちの天の父(神を指す)の子供となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。

 特に共同訳を読むポイントを見出せない。

バルバロ訳

知ってのとおり、〈隣人を愛し、敵を憎め〉と教えられた。
だがわたしは言う、あなたたちは敵を愛し、迫害する人のために祈れ。
こうすれば天にまします父の子となる。天の父は悪人の上にも善人の上にも日を昇らせ、義人にも不義の人にも雨を降らせられる。

 意外と簡潔。さっぱりとしていて好きだが、カトリック的な読みが問題になるとき以外はあえて参照しないかも。

塚本虎二訳

あなた達は(昔の人がモーセから、)“隣人を愛し”、敵を憎まねばならない、と命じられたことを聞いたであろう。
しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ。
あなた達が天の父上の子であることを示すためである。父上は悪人の上にも善人の上にも日をのぼらせ、正しい人にも正しくない人にも、雨をお降らしになるのだから。

 ポイントを落とした説明の挿入はカッコでくくっておいた。「示すためである」など、若干ニュアンスの違うような気もするところはあるが、ユニークで面白そう。暫く参照するべきだ。

前田護郎訳

あなた方が聞いたようにこういわれている『隣びとを愛し、敵を憎め』と。
しかしわたしはあなた方にいう、『敵を愛し、迫害者のために祈れ』と。
かくてこそ天にいますあなた方の父の子になられよう。父は悪人にも善人にも日をのぼらせ、義人にも不義者にも雨を降らせたもう。

 塚本訳より後退している気がする。注釈もわざわざ読まねばならないようなものではない。

柳生直行訳

『なんじの隣人を愛し、なんじの敵を憎め』〔レビ19:18〕と言われていることも、そなたたちのよく知っている通りである。
だが、わたしは命ずる。そなたらの敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
そうすることによってのみ、そなたたちは天にいます父の子となることができるのである。天の父は、善人の上にも悪人の上にも、日を照らさせ、正直者にも嘘つきにも同じように、雨を降らせて下さる。

 これはだいぶ原文から離れてしまっている。「そうすることによってのみ」は訳者の勝手な解釈であるし、なぜか「善人の上にも悪人の上にも」と原文の順番を逆にしているし、「正直者」とか「嘘つき」が適当な訳語であるとは思われない。