本の覚書

本と語学のはなし

購入12-2

 CEI ・UELCI『La Sacra Bibbia』。カトリックのイタリア語訳聖書。聖書を原語で読むときに、参照すべき翻訳の一冊に加える。「イタリア語を救うため」という以上の意味はないつもりだが、イタリア語を風化させたくないのは、あるいはカトリックに対する未練なのかもしれない。

 クリスマスが近いので、受胎告知とエリザベト訪問の場面から引用してみる。日本語訳は新共同訳である。

 天使ガブリエルはマリアに遣わされる。

Rallégrati, piena di grazia: il Signore è con te.

おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられる。(ルカ1:28)

 「恵まれた方」の原語「ケカリトメネ」の解釈は問題のあるところだが、このイタリア語訳ではヴルガタ訳の「gratia plena」を踏襲して「piena di grazia」となっている。「恵みに満ちた方」という意味である。

 戸惑うマリアに対し、ガブリエルはさらに言う。

Non temere, Maria, perché hai trovato grazia presso Dio. Ed ecco, concepirai un figlio, lo darai alla luce e lo chiamerai Gesù. Sarà grande e verrà chiamato Figlio dell’ Altissimo; il Signore Dio gli darà il trono di Davide suo padre e regnerà per sempre sulla casa di Giacobbe e il suo regno non avrà fine.

マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。(ルカ1:30-33)

 イタリア語訳だと一見「regnerà(治める)」の主語は「il Signore Dio(神である主)」のようだけれど、そのような解釈をする例はなさそうなので、恐らく原文やヴルガタ訳の曖昧さをそのまま「直訳」したものだろう。イタリア語もまた主語人称代名詞を立てる必要のない言語である。

 どうしてそのようなことが起こり得るだろうかと言うマリアに対して、ガブリエルは聖霊によって身ごもることを伝える。神にできないことはないのだと。
 マリアの返事。

Ecco la serva del Signore: avvenga per me secondo la tua parola.

わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。(ルカ1:37)

 マリアは親戚のエリザベトを訪問する。洗礼者ヨハネの母となる人である。エリザベトは言う。

Benedetta tu fra le donne e benedetto il frutto del tuo grembo! A che cosa devo che la madre del mio Signore venga da me? Ecco, appena il tuo saluto è giunto ai miei orecchi, il bambino ha sussultato di gioia nel mio grembo. E beata colei che ha creduto nell’ adempimento di ciò che il Signore le ha detto.

あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。(ルカ1:42-45)

 天使ガブリエルとエリザベトの言葉から、カトリックアヴェ・マリアができたことは前にも書いた。