本の覚書

本と語学のはなし

購入11-3

 G. D. フィー『新約聖書の釈義』。牧師が説教の準備をするために、どのように新約聖書を読むべきかまとめた一冊。私はもちろん牧師になろうなどと思っているわけではない。ギリシア語原典を読む際の注意、特にネストレ=アーラントで用いられる記号のことを知りたいだけである。


教会暦と聖書朗読2014年度 主日A年・週日第2周年

教会暦と聖書朗読2014年度 主日A年・週日第2周年

  • 発売日: 2013/11/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
カトリック教会情報ハンドブック2014

カトリック教会情報ハンドブック2014

  • 発売日: 2013/11/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 カトリック中央協議会出版部編『教会暦と聖書朗読 2014年度』。カトリックのミサでは、主日の聖書朗読を三年サイクルで定めている。福音書で言うと、A年はマタイ(2014年度はA年にあたる)、B年はマルコ、C年はルカが中心で、ヨハネ四旬節や復活節などに読む。週日の「年間」の第一朗読は二年サイクル、その他は毎年同じ。これは全世界のカトリック教会で共通のプログラムである。この本を見ると、その日のミサのメニューがだいたい分かる。
 カトリック中央協議会出版部編『カトリック教会情報ハンドブック2014』。ちょっとした読み物や簡単な教会暦も付いているが、メインはカトリック施設の住所録である。衝撃的だったのは、私がカトリックと出会った教会がなくなり、来年からやや西側にある教会と合併すること。西の教会に併設されていたはずの修道院の住所が記載されていないこと。きっとこのまま先細りしてくのだろう。

 だが、センチメンタルな気分になったからと言って、私がカトリックの教会に復帰することはないだろうと思う。
 教皇論、マリア論、七つの秘跡などについて、信心深くあることはできない。諸聖人を学ぶのは億劫だし、まして拝んだりすることなどできない。様々な定型的な祈りは面倒だし、罪の告白は気が進まないし、歴史を学ぶのは憂鬱だ。プロテスタントが思う以上に自由は許されているだろうけど、聖伝に基づく教義やらどこで参照できるのかも分からない過去の文書やらを気にしながら聖書を読むのも楽しくない。
 もちろんプロテスタントに鞍替えしたら楽だろうとは思わない。上に書いたことが全く気にならず、保守的な価値観も建前として割り切れるのであれば、カトリックであることはかなり楽ちんだ。救われる可能性はプロテスタントに較べればはるかに高いはずだし、告白すれば現世においても罪は許されるし、神を正視できなくともより頼む対象はけっこうあるし、そうとう楽観的な宗教であるはずなのだ。

 仮にプロテスタントの教会に行くとして、私にとって最大の難関は信者の共同体に入り込むことである。矛盾したことを言うようだが、私は信じ切っている人が苦手なのだ。