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宗教改革とその時代/小泉徹

宗教改革とその時代 (世界史リブレット)

宗教改革とその時代 (世界史リブレット)

  • 作者:小泉 徹
  • 発売日: 1996/06/01
  • メディア: 単行本
 ごく簡単な宗教改革史。根底にはカトリック中枢の腐敗ということがあったが、必ずしもプロテスタントが進歩的で、カトリックが反動的であるという図式で捉えるべきではない。
 贖宥状(一般に免罪符と言われるもの)は金で「罪」を許すものではなく、サン・ピエトロ寺院の改修費に献金することで「罪の償い」の一部を免除するものであり、ルターの抗議の神学的なポイントは、そうした行ないによって神に働きかけることはできず、ただ信仰のみによるのであり、恩寵はあくまで神の側からのものである、ということであったようだ。

 善行を積むことで救われるという考えは、ルターにおいて否定される。カルヴァンはさらに一歩を進め、人間の自由意思を否定し、救われるか否かは予め神によって決められているという予定説を打ち出す(もちろん彼の発明ではないが)。人はただ、神によって定められた職業を全うし、敬虔な生活を送ることで、恐らくは自分が選民であろうと推測するしかない。
 私は、完全な予定説を支持する場合、はたしてイエスの贖罪に何の意味があったのだろうかという謎が突き付けられるような気がしてならない。神が洪水であらゆる罪を流し去ろうと、ひとり子を十字架にかけて人類の罪を拭い去ろうと、自由を持たない人間にとってそれが何であろうか。回心しようがしまいが救いは神の専決事項であり、回心するか否かすら神の専決事項である。良いとか悪いとかいうのではない。神学的にどう説明を付けるのだろうかと思うのである(もちろん自由意思も哲学的に自明のことではないが)。ひどく初歩的な素人の疑問だろうけど、どのようにして大抵のプロテスタントが予定説を納得し受け入れているのか大いに気になる。