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本と語学のはなし

新約聖書ギリシア語入門/大貫隆

新約聖書ギリシア語入門

新約聖書ギリシア語入門

  • 作者:大貫 隆
  • 発売日: 2004/12/21
  • メディア: 単行本
 私は以前から古典ギリシア語を知っているし、最近文法を復習したばかりだから、この本が初学者の独習に向いているのか否か判断することはできない。
 かなりすっきりしていて、見やすいのは確かである。ただすっきりしすぎていて、形態論にしろ文体論にしろ説明は不足しているので、細かいところが気になる人は古典文法の教科書をしっかり学んだ方がよい。
 巻末の文法表も見やすいが、新約聖書を読むにはこれで十分なのかどうか知らないけど、もう少し情報を盛り込んでもいいかと思う。
 練習問題はほぼ希文和訳となっていて、新約聖書旧約聖書(幾つか確認したところ七十人訳のようだ)の文章にもかなり触れることができる。解答つきではあるが、出題時点での未習事項が多く含まれており、しかも解説らしきものはほとんどないので、独習者には厳しいかもしれない。

 可能なら大学や教会などで知識のある人の指導を受けるのが一番いい。そういう環境がないか、好まないのであれば、変化表を徹底的に暗記しながら慌てずゆっくり進めばよい。大学では通常半年から一年かけて学ぶ内容である。
 語学の才能がなくたって、悲観するには及ばない。西洋には聖書のアンチョコなどいくらでも存在するのだから、お金をかければ読めないなんてことはない。少なくとも原典に通じているふりをすることくらいはできるようになる。


 各講の末尾に新約聖書のポイントとなる言葉を掲げ、解説を加えていることも、この本の大きな特徴である。著者のイエス観、聖書観が反映されているので、語学書として適当ではないのかもしれないないが、私にとっては、カトリックとはまた別の神学の在り方を知るよい機会であった。

       新約聖書の言葉18

 ἰδοὺ ἡ παρθένος ἐν γαστρὶ ἔξει καὶ τέξεται υἱόν, καὶ καλέσουσιν τὸ ὄνομα αὐτοῦ Ἐμμανουήλ.


 見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう。(マタ1, 23)



 上の文は天使がマリアとの婚約中にヨセフに告げる受胎告知の一節。「インマ」はヘブライ語の前置詞で「共に」、「ヌ」はその目的接尾辞で「われら」、「エル」は「神」の意。しかし、マタイによる福音書の物語そのものの中でイエスが直接インマヌエルと呼ばれることは一度もない。そこで描かれるのはむしろ、「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい」(10, 5-6)という言葉に示されるように、パレスチナに焦点を絞って「神の国」を語り伝えるイエスである。それは普遍的な「天の国」としてはすでに実現しているが、地上では「あなたの御国が来ますように。あなたの御心が成りますように、天におけるように地の上にも」(6, 10)という祈願の対象である。イエス自身が十字架の刑死を経て復活した時初めて、「天と地の一切の権能」(28, 18)を授けられる。このイエスが弟子たちに現れ、彼らを全世界に派遣するにあたり、「私は世の終わりまで、いつの日もあなたがたと共にいる」(28, 20)と告げる。これが「インマヌエル」の具体的な在り方なのである。マタイによる福音書はインマヌエルの予告で始まり、その実現で終わる。