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カトリック入門/要理編纂専門委員会編

カトリック入門

カトリック入門

  • メディア: 単行本
 学生時代、洗礼を受けるか受けないかという頃に一度読んだ。主として新約聖書に沿いながら、カトリックとして身に付けておくべき最低限の教義を簡潔に解説している。今思うと、この本と教会の勉強会で用いた二冊の聖書入門だけで、よくカトリック入信の決意をしたものだ。
 しかし、あの時私を動かしたのはマタイ25章31節から46節の聖書の言葉と、幾晩か続けて見たキリストをめぐる夢(その内の一つに登場したキリスト像は、おそらく小学生のあるクリスマスに見た聖母幼稚園の聖堂のそれである)であって、現実のカトリックに対してはそれほど興味がなかったのかもしれない。

 教会を離れる原因となった幾つかの不幸があったのは確かだ。
 一つには代父のこと。私の代父にと神父が選んでくれたのは、私とほとんど同年代の熱心な信徒であった。極端に保守的で、ほとんどマリア崇拝の虜のような人で、私をスカプラリオ(先日はスカラプリオと書いてしまった)の信仰へと誘ってきた。しかし、それとその他のマリアの私的啓示を混同するべきではないかもしれないけれど、私にはカトリックならばどうしても信じなければならないようなものとは思われなかった。中には、彼と付き合いはあるが、それへの過度の信心を嫌う人もいて、私に忠告してくれたりもしたから、そういった信仰と距離を置くとしても必ずしも悪しきカトリックとはならないのだろう。が、そのような信仰と距離を置くには、代父とも距離を置かねばならなかったのだった。召命に対しても興味を持っている人のようだったから、今頃はどこかの修道院で祈っているのかもしれないし、どこかの教会でミサを立てているのかもしれない。
 一つにはYのこと。教会の勉強会で知り合った自傷癖のある女性である。私はこの時ほど恐怖したことはない。
 一つには神父のこと。神父からは何も聞いたことがないから、Yが暗闇の中でつぶやいたことから、一方的に判断してはならない。しかし、彼女に宛てた葉書の中で、神父にしか読解できぬように書いた箇所を、彼女がたやすく読解していたのは事実である。
 けれど、結局は私に根本的な信仰がなかったのだ。おそらくは一般社会におけるよりずっと困難な人間関係を思い知らされるよりはるか以前に、容易に退散する準備はできていたのだ。