本の覚書

本と語学のはなし

言葉の勉強

 これまで少しでも勉強してみたことのある言語のまとめ。文学書を読むというモチベーションがないと、必ず挫折するという法則があるようだ。
 現代ギリシア語。古代ギリシア語しか知らないというのはバランスが悪いかもしれないけど、会話のテキストが全然楽しくなかった。
 イタリア語、スペイン語、ポルトガル語。簡単な文章であれば、今でも何とか読めると思う。文学への馴染みの薄さが、停滞した理由。余裕があれば、前二者はもう少し掘り下げてみたい。
 ロシア語。対訳本を読み始めるところまでは行ったはずなのだが、まだドイツ語もフランス語もよちよち歩きの頃だったので、途中で放棄してしまった。
 アイスランド語、ゴート語、古英語、中高ドイツ語。学生時代に歴史言語学への逃避を企てていたことがある。しかし、個別言語を追求し始めるときりがない。今ではもう全く読めない。
 エスペラント語。簡略化されたラテン語という感じだったと思う。宮澤賢治エスペラント詩を幾つか残しているのだが、それだけでは続けることができなかった。
 サンスクリット語。何度か挑戦している。連声がとにかく面倒くさい。隣接する単語が影響し合って音の変化をもたらし、それを音のまま綴って、しかも分かち書きをしないから、単語の切れ目が分からず、辞書も引けない。『般若心経』を読んだけど、ほとんど名詞の羅列のような文章で、面白味を感じなかった。パーリ語とチベット語は、文法書と辞書を用意したけど、開いてみたこともない。
 モンゴル語。学生時代、友人宅にホームステイをしていたモンゴル人に、絵葉書を出してみた程度。
 トルコ語。たしか日本語との類似を求めて、簡単な文法書をさっと読んだことがあると思うのだ。母音調和のことを少し記憶している程度。
 ベトナム語。ベトナム旅行を考えていた頃だったか、少しだけしくみを学んでみた。結局ベトナムには行かなかった。
 韓国語。一時期韓国に凝ったことがあって、ドラマもよく見たし、旅行にも行った。文字を読むこともできたし、文法について薀蓄を傾けることすらあった。だが、結局本を読むという目標がなかったために、踏ん張ることができなかった。今はもうだいぶ忘れてしまった。

 今勉強中なのは、以下の八つの言語。
 英語、フランス語、ドイツ語。小説と詩を自由に読みたい。
 ギリシア語、ラテン語。ほぼホメロスウェルギリウス限定。時々聖書を参照する。
 中国語、日本語。古典が中心。
 ヘブライ語。今更新しい言葉を学ぶことになるとは思わなかった。英語は中学、フランス語、ドイツ語、ギリシア語、ラテン語は高校の時に始めた。中国語は大学の時に少しかじった経験がある。若い頃に関わっているので、なかなか忘れない。年寄りの手習いが果たして長続きするものかどうか、心もとない。とりあえず「創世記」を読むのが目標。