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Faustを始めてみた

Faust. Der Tragoedie Erster und Zweiter Teil

Faust. Der Tragoedie Erster und Zweiter Teil

 
森鴎外全集 <11> ファウスト (ちくま文庫)

森鴎外全集 <11> ファウスト (ちくま文庫)

  • 作者:森 鴎外
  • 発売日: 1996/02/22
  • メディア: 文庫

 詩法を学んだり、全時代的アンソロジーを読んで詩史に明るくなったりというのは、英語とフランス語の場合だけでよい。訳の分からぬ詩を解釈するエネルギーにも、余分な持ち合わせはない。
 ドイツ語を休止するという選択もありうるが、ちょっと踏みとどまり、ゲーテの『ファウスト』を試してみることにした。以前も途中まで読んだことがある。やめたのは難しいからではなくて、飽きたからだったと思う。ゲーテの文章は、常識的なドイツ語の知識で十分読みこなせるはずのものである。
 『ファウスト』を選んだ理由は、ゲーテの平易なドイツ語だけではない。むしろ主たる目的は、森鷗外の翻訳を味わうことにある。今はあまり顧みられることはないが、鷗外の活動のかなりの部分は、実は翻訳者としてのそれであった。この方面における鷗外もまた、知っておきたい。

 冒頭部分を書き抜いてみる。

    ZUEIGNUNG

Ihr naht euch wieder, schwankende Gestalten,
Die früh sich einst dem trüben Blick gezeigt.
Versuch ich wohl, euch diesmal festzuhalten?
Fühl ich mein Herz noch jenem Wahn geneigt?
Ihr drängt euch zu! nun gut, so mögt ihr walten,
Wie ihr aus Dunst und Nebel um mich steigt;
Mein Busen fühlt sich jugendlich erschüttert
Vom Zauberhauch, der euren Zug umwittert.

    薦むる詞

昔我が濁れる目に夙(はや)く浮びしことある
よろめける姿どもよ。再び我前に近づき来たるよ。
いでや、こたびはしも汝達(なんたち)を捉へんことを試みんか。
我心猶そのかみの夢を懐かしみすと覚ゆや。
汝達我に薄(せま)る。さらば好し。靄と霧との中より
我身のめぐりに浮び出でて、さながらに立ち振舞へかし。
汝達の列(つら)のめぐりに漂へる、奇(く)しき息に、
我胸は若やかに揺らるゝ心地す。

 すべてこの調子ではなく、大部分は口語体で訳されている。鷗外は使い分けをしているようだ。
 比較のために、高橋義孝訳を示しておく。

    献  詞

 その昔、わたしの曇った眼の前に現れ出た
おぼろな姿が、今また揺らめき近づいてくる。
こんどは君らをしっかりとつかまえてみよう。
わたしの心は今なお君ら、幻の姿に惹かれている。
君らはわたしに迫ってくる。よろしい、靄と霧の中から浮び上がって、
思うがままに振舞い給え。
君らの周囲に立ちこめる妖しい息吹きに、
今また私の胸は若々しく揺すられる想いがする。

 誰が訳しても大して変わりはしないかもしれないが、それでも鷗外の影を認めうるように思う。

 ちくま文庫版の鷗外訳『ファウスト』は全一巻。九百ページ近くもある。既製品のブックカバーではうまく包めないので、久しぶりに書店でアルバイトしていた頃を思い出し、塾講師の名残りのコピー用紙を使って、カバーを自作した(ただ紙を四回折っただけだが)。