本の覚書

本と語学のはなし

日本の歴史1 神話から歴史へ/井上光貞


 『坂の上の雲』を終え、司馬節にはちょっと満腹感を覚えたので、これから職場では中公文庫の歴史シリーズにしようと思ったのだ。先ずは日本の神話を読んで、『坂の上の雲』の戦争の記述よりよいペースで進んで、内容も甚だ面白く、これは行けると思った。だが一冊の分量は多く、シリーズの先も果てしなく続く。少し心が折れそうではあった。
 折あしく、その日のパートナーは、私が読んでいる本について尋ねたがる人であった。どのような本の話をしようとも、語学の話をしようとも、歴史以外のことは全て無視し去る人なのである。英語やフランス語のことを話しても、「それじゃあ、旅行のとき、駅の名前が読めるのか!」と驚嘆するだけで終わるのである。その代り、歴史のことだけはやたらに自分の知識をひけらかしたがるのだ。歴史とは畢竟、娯楽的に解釈された限りにおいてのエピソードの集積に他ならない、と言わんばかりの口調である。
 さらに悪いことに、どこかで一度聞きかじったことを永遠の真理に高める、恐るべき帰納法の開発者でもあるのだ。そのために、真の読書家は決して栞を使わない、などという怪しげな真理の信奉者になったような人なのである(彼自身は一時間と読書に集中できないから、真理の実践者ではない)。そして、栞を用いる私のごとき蒙昧無知の愚民を啓蒙してやりたくて仕方がないのである。
 それがあまり煩わしいので、貝塚の辺りでやめてしまった。もう職場には歴史書歴史小説も持って行かない。しばらく漢詩を試してみる。
 というのも、漢詩のことを少し話した時、「五行のやつね」と言われたのだ。近体詩は四行か八行であって、古詩にも五行のものなんて聞かないから(あるのかも知れないが)、五行詩を以て漢詩を代表させることはできない。多分五言のことだろうかと思って一応指摘してみたが、反応はいまいち。ひょっとしたらあれは五行説のことを言おうとしたのかもしれない。
 いずれにしろ、日本史と中国史にはいささかの自信があるようだが、漢詩と聞いても五行とか返り点(かつてそのメカニズムを理解したことはない)としか発想できないらしいから、今後本のことで我々が活発で無意味で疲労を誘う会話を贅することもないだろう。

日本の歴史 (1) 神話から歴史へ (中公文庫)

日本の歴史 (1) 神話から歴史へ (中公文庫)