本の覚書

本と語学のはなし

宝慶記/道元


 全集の第十六巻は『宝慶記』と『正法眼蔵随聞記』を収めるが、前者のみ読んだ。後者は途中でやめる。どうも今は道元を読む気分ではない。


宝慶記
 『宝慶記』は宋留学時に師の如浄と交わした問答の記録。道元死後、弟子の懐奘によって発見された。まだ先を書くつもりであったかもしれない。
 如浄は「参禅は身心脱落なり。焼香・礼拝・念仏・修懺・看経を用いず。只管に打坐するのみなり」という。坐禅の結果、体が抜け落ちたような神秘体験をするというのではない。「身心脱落は坐禅なり」ともいう。坐禅することそのものが身心脱落なのである。「只管に打坐する時、五欲を離れ、五蓋を除くなり」。これが結果である。


 道元は作法マニアである。威儀を即ち真理とする思想の為であり、日本に伝わっていないものを伝え尽くさなくてはならないという使命感の為でもあるが、どうやら如浄の影響もあったようだ。
 記録はほぼ時系列であろうと推測されている。前半は道元が教理上の質問をし、如浄が答えるというスタイルが多いのに対して、後半では如浄の方が自分の持っている知識を積極的に伝えようとしている。その内容は主として作法のことなのである。
 ただし、後年の道元が、必ずしも如浄の教えをそのまま踏襲しているとは限らない。


 同じように師を思う弟子の立場から書かれた懐奘の『正法眼蔵随聞記』に比べると、感動的とは言えないかも知れない。『随聞記』の道元は青年だが、『宝慶記』の如浄は最晩年にあった。しかし、道元の他の著作や伝記を学んだ後では、なかなか味わい深いし、渋めの興味を掻き立ててくれる箇所もある。

41 〔インドにおける〕かくのごときの聖跡も、もし人、ここに到ってこれを度量(たくりょう)する時は、あるいは脩(なが)く、あるいは短く、あるいは延び、あるいは促(つづま)りて、未だ其の定まりあらざるは、乃ち仏祖の鬧聒聒(にょうかつかつ=さかんで、騒がしい様)なり。今日、東漸せる鉢盂(ほう=僧の食器)・袈裟・拳頭・鼻孔も、また乃ち人のこれを測度(しきたく)すべからざるものなり。
 道元、坐より起ちて速礼(そくらい=略式の拝)して地に叩頭(こうとう)し、歓喜落涙せり。


正法眼蔵随聞記
 栄西についての話が感動的なので、全部付箋を付けようと思ったのだけど、全六巻中、二巻まで読んだところでやめる。どうにも今は、腹いっぱい食べても減りもしない空というものに、まったく興味を持つことができないのである。


前回:http://58808.diarynote.jp/200601300126410000/
宝慶記:http://58808.diarynote.jp/200505302035500000/