本の覚書

本と語学のはなし

第二文型の動詞の過去分詞


 久し振りに語学の話。『チャタレイ夫人』の原文と伊藤整訳。

 Ravished ! How ravished one could be without even being touched. Ravished by dead words become obscene, and dead ideas become obsessions. (p.80)

 犯されている! 人間は触られることがなくてもりっぱに犯されてしまうのだ! 死滅した言葉に犯されては卑猥になり、死滅した観念に犯されて我執が生まれる。(p.169)


 問題は最後の文なのだけど、伊藤の頭の中では、〈Ravished by dead words, one could become obscene. And, ravished by dead ideas, one could become obsessions.〉という復元がなされているように思われる。ravished は過去分詞で分詞構文を作り、条件を表す。主語の one と助動詞の could を補って、become を本動詞とする。one could become obsessions という表現は苦しいが、それ以外に考えようがあるだろうか。犯される方が卑猥になり我執を生じるのではやりきれないが…。
 だが、別の道がある。〈One could be ravished by dead words become obscene, and one could be ravished by dead ideas become obsessions.〉と補うのである。とりあえず become とその次の語を無視すれば、「人は死せる言葉、死せる観念に犯されうる」という意味になる。では become は何か。本動詞ではない。過去分詞である。
 自動詞の過去分詞が修飾語として使われるとき、受け身ではなく完了の意味になる。〈fallen angel〉は「堕天使」のことだ。第二文型の動詞でも同じことである。〈The reporter turned poet.〉なら「その記者は詩人に転身した」であるけど、〈I know the reporter turned poet.〉なら、「詩人に転身したその記者(記者から転身したその詩人)を、私は知っている」となる。過去分詞が完了の意味を帯び、補語もひっくるめて、後ろから前の名詞を修飾するのである。
 したがって、問題の箇所全体の意味を取れば、「人は犯されうるのだ、猥褻に流れた死せる言葉、あるいはまた妄執にまで堕した死せる観念によって」と、こんなふうになるだろうと思う。


 誤訳かも知れないというところを指摘するのはもうやめることにしたのだが、この頃あまりに語学のことを書かなかったので。この次からは、できれば詩の紹介をしてみたい。