本の覚書

本と語学のはなし

坂の上の雲(五)/司馬遼太郎


 ようやくなった二〇三高地の奪取、まだアフリカ辺りで苦労しているバルチック艦隊がこの巻の中心となる。乃木希典について司馬は無能の烙印を押しつけて憚らない。別の見地から書かれたものも読んでみなくてはならない。
 引用は、正式な旅順降伏の前、休戦状態に入った日露両兵の歓喜の様子。

 なかには、日本兵が、ロシアの堡塁までのぼってゆき、酒を汲みかわしたりした。さらには酔ったいきおいで日露両兵が肩を抱きあいながら敵地であるはずの旅順市街まで出かけてゆき、町の酒場へ入ってまた飲むという光景さえみられた。むろん軍規違反であった。しかしこの人間としての歓喜をおさえることができるような将校は一人もいなかった。(p.301)


 とにかくくどい。新聞小説としてなら同じことを何度繰り返されようが気にはならないが、本になったものを通読しようという時には、果てしもなく繰り返される「ということはすでに書いた」に気力も萎える。半分に圧縮してくれと言いたくなる。
 繰り返されるのは内容だけではない。単語もフレーズも、何度でも使いまわす癖がある。どこでも顔を出す司馬の定型もある。言葉の細部に気を配るよりも、自分の歴史観を講義することに心を砕いているのだろうけど、だんだん鼻についてくる。 
 いま、読む速度はすこぶる落ちてきている。

新装版 坂の上の雲 (5) (文春文庫)

新装版 坂の上の雲 (5) (文春文庫)