本の覚書

本と語学のはなし

考える短歌/俵万智

  わが跡をふみもとめても来んといふ遠妻あるを誰とかは寝ん
追っかけて来ようというような親切に云ってくれるおまえさんがあるのに外のものにかかりあってなるものかという意味なのだよ。歌というものは上手にはなかなかなれないが一寸やるとおもしろいものだよ。何か一つ歌にして書いておこしてごらん。直してやるから。


 これは戦地にある鷗外が妻の志げに宛てた手紙のひとつ。日露戦争に従軍していたときにつくった詩や短歌や俳句は、後に『うた日記』として出版される。鷗外は山県有朋主宰の歌会「常磐会」の幹事もしたし、自宅で「観潮楼歌会」を定期的に開いたりもした。短歌にもなかなか腕を振るったのである。
 ところで鷗外の二つの歌会に顔を出す人物に、佐佐木信綱がある。鷗外出征に際し『万葉集』を贈った万葉研究家であり、歌人である。この人の孫が佐佐木幸綱で、俵万智はその影響のもと短歌を作り始めた。

 現在は、口語体で多くの短歌が詠まれている。私が短歌をつくりはじめたころは、まだ少数派だったが、今を生きる自分の思いを表現するために、口語を取り入れることは、ごく自然なことだった。(p.155)


 口語短歌の歴史はまだ浅い。明治の作家が口語体の散文をそれぞれに手作りしたことを、歌人はようやく平成の前後に模索し始めたのである。古典との断絶が宿命となるにしても、現代の事象を現代の言葉で表現するのは当たり前であるはずのことだった。
 しかし、当たり前のことが当たり前にできるようになると、安きに流れやすくなる。何気なく独りよがりで主観的な歌が作られがちになる。この本はそうした例を添削しながら、現代の短歌について考えてゆくのである。たとえば、

  バスタブに泡だてて手にすくうシャボン幼い頃に見上げていた雲


 二つの体言止め、前半と後半の単純な図式を改めると、次のようになる。

  バスタブに泡だつシャボンすくうとき幼い頃に追いかけた雲


 添削によって本当によくなったのか分かりにくいものもあるし、疑問の残る例もあるが、もともと駄作であるものを少々の手直しで傑作に変えられるわけでない。むしろ、言葉に対するていねいな視線に学ぶべきだろう。目次を参照するだけでも手がかりになると思う。簡単に書き直して並べておく。散文を書く際にも参考になる。
 「も」を疑う、句切れを入れる、構造を変える、動詞は三つまで、体言止めは一つだけ、副詞には頼らない、数字を効果的に使う、比喩に統一感を、現在形を活用、「の」に気をつける、初句を印象的に、色彩をとりいれる、固有名詞を活用、主観的な形容詞を避ける、会話体を活用。
 しかし、一番大事なことは最初に書いてある。どうしたら柔軟な心を持つことができるか。短歌を作るしかないのである。

 短歌を作っているからこそ、その「あっ」を見つめる時間が、生まれる。たとえ隙間のような時間であっても、毎日の小さなつみかさねこそが、大切だ。「あっ」を見つめて、立ちどまって、味わいつくすことが、心そのものを揉みほぐしてゆく。(p.8)