本の覚書

本と語学のはなし

クリスマス・カロル/ディケンズ


 まったくクリスマスの気分ではない。田舎だからということもあるが、田舎にも年末や正月はやって来るのに、年の瀬を意識することもない。いつの頃からか、時間はいつでも均質にのっぺりと繰り延べられていくだけになった。せめて『クリスマス・カロル』(現在は『クリスマス・キャロル』に改められている)でも読むしかない。
 時々分かりにくいところがある。誤訳か、ニュアンスをきちんと汲み取っていないか、汲み取ったニュアンスをうまく日本語にのせることができないかだろう。以前原文を読んだことがあるけど、意外に難しい英語なのだ。

 それ〔鵞鳥〕をりんごソースとつぶし馬鈴薯でおぎないさえすればまったく家族全体にじゅうぶんな御馳走だった。まったくクラチット夫人が(皿の上にのっている小さな一片の骨を見て)うれしそうに言ったとおり、とうとう食べきれなかったのだ! それでも一同は満腹したし、とくに小さな子供たちは眼までセージや玉ねぎに埋まってしまったほどだった。(p.84)


 食べきれなかったのに、それでも満腹した、というのはおかしな言い方だ。たぶん、ほんの小さな骨のかけらは残し、全てを食べ尽くすことはしなかった。それでも腹はくちくなった、というユーモラスな表現なのだろう。
 眼まで埋まるというと、子供らの外部にセージや玉ねぎが山と積まれているかの印象を受けるが、これも満腹のおどけた言い換えに過ぎまい。


 こんな風に時々立ち止まりながら読まなくてはならないのだが、私にとっては思い出深い翻訳である。村岡以外の訳で読むことは考えにくい。毎年この時期に読み返す気持ちになればよいのだけど。

【改題版】
クリスマス・キャロル (新潮文庫)

クリスマス・キャロル (新潮文庫)


前回(原典):http://d.hatena.ne.jp/k_sampo/20081227/p1
 ※翻訳に関して書いたことは、至らないことが多いだろうと思う。