本の覚書

本と語学のはなし

峠(上)/司馬遼太郎


 郷土史には興味がない。それどころか意識して避けてきた。無批判な賛美は嫌いだし、異邦人のように生きていたかったのだ。
 だから私は上杉謙信といっても敵に塩を贈ったことしか知らないし、しばしば万能の免罪符として用いられ祭りの名前にも冠されている米百俵の精神なんかも、それを使いたがる人々の顔を思い浮かべるにつけても、何のことかさっぱり分からない。真珠湾攻撃の慰霊と称して12月8日に花火を打ち上げられたこともある山本五十六も、ロッキードと結びつける以外に何の連想もはたらかぬ田中角栄も、私にとっては堯舜より遠い存在である。
 この本の主人公、河井継之助についても、記念館 *1が作られたんだからよほど偉いのだろうというくらいの認識が関の山で、故中村勘三郎の演じた「駆け抜けた蒼龍」すら見ていない。


 上巻では、三十になっても藩政に関わらず遊学を続ける継之助が描かれる。陽明学の信奉者で、原理さえつかめれば知識は必要でないと考える行動の人である。しかし、一方で酒と女にだらしないのが一般的なこの時代においても、継之助の女好きはよほど突き抜けていた。
 人物としてはなるほど面白い。私の住んでいる土地でこのようなタイプが生まれうるのかとちょっと驚きでもある。だが、果たして後年の官軍との戦いが本当に必要なものであったのかどうか、継之助を尊敬していたらしい五十六の思想にそれがどう影響しているのか、残りを読みつつ考えてみなくてはならない。


 ブックオフの基準では書き込みされた本は売らないはずだが、チェックは案外甘い。一箇所蛍光ペンで線が引かれていた。その部分を書き抜いておくと…

 「人間はな」
 店舗とおなじだ、と継之助はいった。場所が大事である。人のあつまる目抜き通りに店を出せば繁昌するように、古賀塾におれば学問はせずとも自然に耳目が肥える。(p.427)


 ちなみに古賀塾は蕃所調所(後に東京大学となる幕府の学校)頭取の古賀謹一郎の私塾である。古賀の名前は『西周伝』などにも出てくる。この時期、それぞれがそれぞれの立場において藩や日本を背負って立とうとしながら、江戸や京都や長崎で交錯していたのである。

峠(上) (新潮文庫)

峠(上) (新潮文庫)