本の覚書

本と語学のはなし

Schön ist die Jugend/Hermann Hesse


 いつ読み始めたかも覚えていない『青春は美わし』をやっと終えた。久しぶりに帰郷した青年の少し切なく、しかし平和な物語である。


 ブランクがあるので、英語やフランス語よりも余計に辞書を引かなくてはいけない。私が熱心にドイツ語を読んでいたのは学生時代まで遡るから、もともとロマン派的な語彙の他は不得手でもあるのだろう。合成語に行き当たると、一語として調べるべきか分解して調べるべきかの判断にも迷う。

Da schritten wir die ganze den Bergrücken entlang führende Straße händeschwingend zu dreien in einer Art von Tanz dahin, daß es eine Freude war. (p.74)

三人は、山の背に沿って通じている道を終始手を振りながら踊るようにして歩いた。それはほんとうに喜びであった。(p.59)


 たとえばBergrücken(山の背)なられっきとした一つの単語であって、Berg(山)とRücken(背)に分けなくてもよい。しかし、händeschwingendという分詞は、不定形に直してhändeschwingenにしても、Händeを単数形のHandに直したhandschwingenの形にしても、辞書には載っていない。前半は「手」という名詞、後半は「振る」という動詞だから、結合して、おそらく「手を振る」という意味になるのだろうと想像するしかない。これは簡単な基本語の組み合わせだからまだいいが、ドイツ語はこの手の合成語がたくさん出てくる。初学者にとってはけっこう面倒臭い。
 文法についてはまったく問題がない。『青春は美わし』が比較的易しいドイツ語で書かれているせいもあるけど、私も一応はドイツ文学の出身である。上の文でden Bergrückenは後置された副詞(もしくは前置詞)entlangに支配された四格(対格)の名詞で、この副詞句(もしくは前置詞句)が後ろの現在分詞führendeを修飾し、ここまで全部が次の名詞Straßeを修飾する。ドイツ語らしい頭でっかちで結論がなかなか見えてこない修飾関係なのだが、そこら辺では別段立ち止まることもない。
 しばらく継続すれば、ほどなくフランス語や英語にも追いつくだろう。


 いつもならギリシア語とラテン語をセットにして仮初の復活を祝うのだけど、今日はドイツ語しかやらない。ドイツ語だけだから、近頃では英語やフランス語でも気力の続かない分量を消化した。いつもとはちょっと違う決意があるのである。
 ドイツ語は森鷗外の翻訳を検証するためにも続けなくてはならないと思ったのだ。我々は忘れがちであるけど、鷗外には軍医と翻訳者の顔もある。前者は私の知識の届かぬところだが、後者ならある程度は評価が可能なはずだ。いずれ『ファウスト』なども鷗外とともに読むことになるだろう(むかし相良訳を参照しながら原文で読んだことはあるが、半分くらいで退屈してやめてしまったのだった)。

Schoen ist die Jugend.

Schoen ist die Jugend.

【参照】
青春は美わし (新潮文庫)

青春は美わし (新潮文庫)


前回(翻訳):http://d.hatena.ne.jp/k_sampo/20111030

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