本の覚書

本と語学のはなし

新編忠臣蔵(二)/吉川英治

 またそれは、時の悪法にたいする、人間の正しい人間提示でもあった。(p.420)


 こんな一文で結ばれている。時の悪法とは、綱吉の生類憐みの令である。そして、人間が犬以下であるとされた世に糜爛する元禄の風潮である。赤穂浪士の討入りは、それへの観念上のアンチテーゼでもあった、と吉川は提示してみせるのである。
 しかし、その一方で、何から何までその糜爛した元禄好みの芝居仕立てのようにも見えてくる。その芝居はどうしても四十六名の切腹で閉じられなくては格好がつかない。そうでなくては後世へ語り継がれるはずもない。全ての人が思い描く通りのストーリーを、敵味方も含めて皆が協力して演じて行ったかのようだ。
 同時代の山本常朝は、決行までの時間が長すぎるのと、泉岳寺切腹しなかったことの二点において、赤穂浪士を批判している。松永義弘の訳で紹介しておく。

 ある男は、けんかの仕返しをしなかったため、恥をかいた。仕返しは、ただ突っ込んでいって斬り殺されたら斬り殺されたでよい。これは恥にはならないのである。相手に勝たなくてはならないと思うために間に合わず、また、向こうは多勢だ味方を集めろ、と言っているうちに時も移り、ついには気がぬけて、やめようかの相談になってしまう。相手が何千人いようと、片っ端からなで斬りにする覚悟で立ち向かっていくことでいいのだ。案外、それでやりとげるものである。
 浅野家浪人の吉良討入りで、泉岳寺で腹を切らなかったのは失敗だ。また主君を打たれて敵を討つまで時間がかかり過ぎた。もし、その間に吉良殿が病死でもしたら、残念至極なことである。(『葉隠』聞書第一の55より)


 武士は拙速でよく、上首尾を求めるよりは恥をかかぬことを考えなければならない。「曲者といふは勝負を考へず、無二無三に死狂ひするばかりなり。これにて夢覚むるなり」ということらしい。
 どちらが武士道に叶ったことなのか、よくは分からない。しかし、赤穂浪士の方が武士階級だけでなく、町民、農民を含むすべての日本人の愛してやまないバージョンであることは間違いなく、現代の我々はまずそのよって来たるところに思いを致すべきだと思うのである。


 私の好きな場面。切腹前夜、肥後細川家に預けられた浪士たちの、接伴役堀内伝右衛門への暇乞いである。

 小屏風を持ち出してくるのだ。そして、その陰へ、助右衛門と勘六の二人が隠れて、隆達節を真似て吹くと、大石瀬左衛門は、真面目くさった顔をして、堺町の歌舞伎踊りを踊って見せた。
 屏風の陰から、二人のお尻が突き出ているし、瀬左衛門が、毛脛を出して足拍子を踏むのも可笑しい。蒲団の中にいるものが、クスクス笑いを洩らすと、次には、どっとみんなで笑ってしまう。伝右衛門も腹の皮がよれた。涙をこぼして笑い転げた。(p.414)



第一巻:http://d.hatena.ne.jp/k_sampo/20121128/p1

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