本の覚書

本と語学のはなし

勝安芳


 『鷗外歴史文学集 第一巻』を始める。先ずは『西周伝』から。西周は「哲学」という言葉を考案したことで有名な人だ。鷗外の遠縁にあたり、学生の鷗外を自宅に下宿させていたこともある。伝記は、周の死後、養子の紳六郎の委嘱を受けて書かれたもので、簡素この上ないらしく、あまり面白いものではなさそうだ。
 さて、凡例にこんなことが書いてある。

一、此書明治三十年三月筆を起し、同年十月草し畢(をはり)ぬ。
一、此書稿成る後、左の諸家の校閲若くは補正を辱(かたぢけな)うせり。
   侯爵 山県有朋   伯爵 勝安芳 ……


 山県有朋は結構鷗外との縁が深いからよいとして、勝ってひょっとしてあの勝だろうかと思ったら、巻末の人名注を見るとやっぱりそうだった。勝義邦、すなわち勝海舟である。安芳は維新後の名で、安房守からつけた。「あほう」とも読めると本人は言っていたらしい。注には「『西周伝』題字揮毫者。明治三年周を山県有朋に推挙した」とある。参考資料を見ると、「風塵三尺剣/戊戌仲秋/題於西周伝記/海舟勝安房」とある。活字になってしまっているのは残念だ。勝は明治三十二年一月に亡くなっているから、これは勝の最晩年の仕事ということになる。
 ちなみに跋の執筆者は榎本武揚である。この人は最後まで旧幕府側として戊辰戦争を戦い、北海道に徳川系の政府を作ろうとした人である。維新後は新政府に仕えたために、福沢諭吉からは、勝海舟ともどもやせ我慢のできない連中として批判されている。
 その他、人名注にはけっこう有名な名前が並んでいる。そういう目で見れば、案外つまらなくはないかもしれない。