本の覚書

本と語学のはなし

与謝野晶子訳


 『源氏物語』を読むのに与謝野晶子訳を参考にしようと調べていたら、全訳をネット上で見ることができる。*1これはいいやと思ったのも束の間、原文と対照させるには正確さを欠いていることを知った。
 「花宴」から。

次に頭中将、人の目移しもただならずおぼゆベかめれど…(原文)

次に頭の中将は、源氏の君のお姿を目にした人々から自分がどう見られようかと気を張りつめているようだが…(小学館全集訳)

次は頭中将で、この順番を晴れがましく思うことであろうと見えたが…(与謝野訳)


 「人の目移し」は、人があるものを見て、今度は別のものに目を移すことで生じる印象などのことである。単に源氏から頭の中将へと目を移す順番のことではないようだ。実際、与謝野訳では、この逆接が次にうまく接続できていない。

はるばるとくもりなき庭に立ち出づるほどはしたなくて、やすきことなれど苦しげなり。(原文)

この広々とした晴れの庭上に出で立つときはきまりがわるく、詩を作ることはたやすいのだが、いかにもつらそうな面持である。(小学館全集訳)

清い広庭に出て行くことが、ちょっとしたことなのであるが難事に思われた。(与謝野訳)


 与謝野訳では「はしたなくて」が訳されていない。何が「やすきこと」なのかは分かりにくいのだが、「はるばるとくもりなき庭に立ち出づるほど」を主語にしようとして、「はしたなくて」を無視せざるを得なくなったのだろう。しかし「ほど」はこの場合「とき」であろうから、主語とするかどうかは別として、ひとまず副詞節として訳せば、おのずと「はしたなくて」も生きてくるはずである。


 「花宴」を終えてまだ全訳は必要だと判断すれば、玉上琢弥訳にしようと思う。
 新潮日本古典集成で読むとスピード感が違う。辞書を使わなくても大体の意味はつかめるので、油断していると古文の力が身に付かない恐れもある。

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