本の覚書

本と語学のはなし

『竜馬がゆく(三)』


司馬遼太郎竜馬がゆく(三)』(文春文庫)
 維新の志士の中ではおくての方なのか、これといった活動をしてこなかった竜馬が、ここに来て公私ともに俄かに忙しくなる。
 先ず、勝海舟を斬りに行く。剣の師匠筋、千葉重太郎に誘われてのことだが、竜馬は辻斬りのような暗殺を好まず、勝の屋敷に押し掛ける。勝は勝で、二人の刺客を平気で屋敷に上げて、開国の必要であることを滔滔と弁じたてる。重太郎が刀を抜く気配を察した竜馬は、機先を制して勝に頭を下げ、弟子にしてくださいと頼みこむ。幕府の重臣の弟子になった竜馬は、ここでようやく歴史の表舞台に現れるのだ。(幕末維新の歴史に明るくはないが、人物として一番私好みなのは勝海舟ではないかと思う。司馬には勝を主人公にした小説はないようだから、いずれ別の人の書いたものを読んでみたい。)
 私的な方面ではおりょうに出会う。その家族の困窮を何とかしようと、一人勝手に彼女を寺田屋の養女にしてしまう。しかし、おりょうは既に寺田屋でずいぶん才覚を発揮し始めたようだ。


 古典を除く日本語の本(翻訳を含む)は職場でしか読まない、という原則を立てている。家では和書の侵犯を許さない。したがって、どこでもどんな状態でも読める、どこでやめても数日中断しても構わない、という条件を満たした本でなくてはならない。司馬遼太郎が最適であるゆえんである。
 しかし、懸念もある。司馬だけではいずれ飽きるのではないか。一つひとつが長すぎるし、作品の量も多すぎる。司馬以外の歴史小説家についても、その文体と史実の尊重について、調べてみる必要がある。
 歴史なら新書や参考書で学ぶという手もあるが、残念ながらどんな状態でも読めるという条件には当てはまらないようだ。今日も参考書を持参したけど、わずか数ページでダウンした。
 司馬ファンには怒られそうだが、文学不足に渇きを覚えるのではないかとも思うが、涼しくなって家での英仏文学の原典講読も復活してきた。文学はこの方面で頑張ればよい。
 エッセーやアフォリズムなら大丈夫かもしれないが、何を読んだらいいか分からない。今はニーチェを読む気分ではない。モンテーニュは文庫を重版してくれなくては、持ち運びに不便だ。
 結局、司馬遼太郎と幾人かの歴史小説家を読むことになりそうだ。日本史が中心になると思うけど、いずれは塩野七生佐藤賢一にも手を出すかもしれない。新書や普通の小説を読むのは例外となるだろう。それが、司馬を三冊読んだところでの結論である。


 数日前までの酷暑の疲れが出始めて、いったん寝るとなかなか起きられない。

新装版 竜馬がゆく (3) (文春文庫)

新装版 竜馬がゆく (3) (文春文庫)