本の覚書

本と語学のはなし

『ダブリナーズ』


ジョイス『ダブリナーズ』(柳瀬尚紀訳、新潮文庫
 カトリックだった頃がある(今でもそうかもしれないし、そうでないかもしれない)。訳あって、椎名町駅から数分の豊島教会のミサに与ったことが二度ある。アイルランドの聖パトリックを保護聖人とする教会である。アイルランドのことはほとんど無知といっていいけれど、いつも何とはなしに親近感を持っている。以前『フランク・オコナー短篇集』*1を読んだのも、半分はかの地について知るためであった。
 さて、ジョイスの『ダブリナーズ』である。たいていはプロットと呼べるほどのものもない日常の一場面を切り取ったに過ぎない短篇だが、その集成によって様々な角度から、田舎の濃密な人間関係、宗教、政治へと光があてられる。オコナーの滋味とはとはまた別の手並みではあるが、ダブリナーズについてのイメージが少しずつ形成されていく。

下宿人は皆、この件を多少は知っている。事細かにまことしやかな話をする者もいる。それにまた、十三年もカトリック信者のワイン商人の大きな店に勤めてきたのだから、世間に知られたら、たぶん職を失う。だから同意すれば、万事うまくおさまるというわけだ。(下宿屋p.104)


 翻訳については、あとがきで訳者自ら語っている。訳者が楽しそうなのは分かる。しかし、その工夫の跡は、ジョイスの意図や音楽的言葉遣いを聞き取ったことを証かすサインにしか見えないこともある。無理な日本語にするよりも、訳注を付けてくれたほうがすっきりすると思うのだが。
 たとえば「おせせ鼻」という言葉が出てくる。「おせせ」は辞書を引けば「おせっかい」のことだと出ている(出ていないものもある)。しかし「おせせ鼻」とは何だろう。形状や色合いのことを言うのか、その動きの癖を言うのか。原語が特殊な言葉なのだろうけど、日本語でも意味不明では困ってしまう。
 ジョイスは原文で読まなければ意味がないのかもしれない。

ダブリナーズ (新潮文庫)

ダブリナーズ (新潮文庫)