本の覚書

本と語学のはなし

西洋古典学

ἦ ἐθέλεις, ὄφρ’ αὐτὸς ἔχῃς γέρας, αὐτὰρ ἔμ’ αὔτως
ἧσθαι δευόμενον, κέλεαι δέ με τήνδ’ ἀποδοῦναι; (1.133-134)

わしにこの娘を返せというのは、つまり自分は分け前を握ったままで、わしだけ手ぶらでおとなしくじっと坐らせておこうというわけか。(上p.17)


 以前に半年だけお世話になった西洋古典学科から封書が届く。もう15年も前に中退しているのに今頃なんだろうかと思ったら、K山先生の退職パーティーの案内だった。学士入学の面接のときには、ドイツ文学出身の割にドイツ語は得意でないようだと言われた。授業では『アルゴナウティカ』を一人で読んで訳していた。いつも帽子をかぶるおしゃれな人で、酒をこよなく愛していた。岩波文庫にも訳書はあるが、どれほど偉い先生なのかはよく知らない。
 返信先の担当のK池さんは、私がいた頃に助手をしていた人ではなかろうか。地学から転向し、当時はプリニウスの『博物誌』やキケロの書簡を読んでいたのではなかったか。今も相変わらず助手なのだろうか。
 出てみたい気もするが、現在の体たらくで出席するのは申し訳ない。返信はがきの通信欄には何か一言添えておこうか。


 私は今でも学生時代の失敗を引き摺っている。きっと一生引き摺るに違いない。その苦い思いは、決して捨て去ってはならないものだ。そのためには、当時訳も分からずにこだわり続けていたことを、それが今後もどれほどの徒労に終わるにせよ、背負い続けていかなければならないのではないか。
 そんな訳で今年初めてギリシア語を読む。しばしば中断せざるを得ないので、ぶつ切りでも読み得るホメロス叙事詩に逆戻り。しかしそれはそれでいいのだ。ホメロスには、ドイツ文学専攻時代にY内先生と2人で読んだ思い出もある。