本の覚書

本と語学のはなし

辞めどき


 教えることによって私の知性も向上するものと考えていた。私の場合、教えることで私自身はどんどんと貧しくなり、枯渇していくようだ。


 塾ではどれほど優秀な人間であろうと、点を取ること、試験に合格することしか考えていない。私は試験のために勉強することが嫌いだった。それが高じて、試験のための道具と成り下がっている教科に対して激しく嫌悪を覚えた。だから英語を憎み、その代りに他の言語を独学していた。学ぶことの楽しさと、点を取ることの楽しさの間に、私は何の共通点も見出すことはできない。私が塾で違和感を覚えるのは当然である。


 私はかつて文法を愛した。単語は文章を読みながら覚えるものだと思っていた。単語集で単語を覚えるような無味乾燥の作業は、ついに私にはできなかった。だから文法よりも単語を優先する人には、どうしても馴染めない。不正確にしか読んでいないことに、なぜ気持ち悪さを感じないのだろうかと、いぶかしく思ってしまうのだ。


 3学期が始まって2週間が経った。忙しさのピークもそろそろ終わる。いろいろ嫌なこともあるだろうが、後は惰性であっという間に過ぎていくだろう。それを終えたら 塾はもう辞めるべきではないかと考えている。
 塾には様々なレベルの生徒が集まってくる。しかし、そのレベルの差に最後まで対応できなかった。どのレベルのどんな性質の生徒にとっても、私は決してよい先生ではなかったと思う。