本の覚書

本と語学のはなし

アブサロム「始めました」


 フォークナーの『アブサロム、アブサロム!』を読み始めた。原文は Vintage International というところのペーパーバック。翻訳は講談社文芸文庫の高橋正雄訳を参照する。例によって冒頭を書き抜いておく。

 From a little after two oclock until almost sundown of the long still hot weary dead September afternoon they sat in what Miss Coldfield still called the office because her father had called it that―a dim hot airless room with the blinds all closed and fastened for forty-three summers because when she was a girl someone had believed that light and moving air carried heat and that dark was always cooler, and which (as the sun shone fuller and fuller on that side of the house) became latticed with yellow slashes full of dust motes which Quentin thought of as being flecks of the dead old dried paint itself blown inward from the scaling blinds as wind might have blown them. (p.3)


 決して難しいというのではないが、一文が非常に長く、形容詞がふんだんに用いられていて、むせ返りそうになる。この文体もまた南部の雰囲気を表現するものなのだろう。
 翻訳もなるべく忠実にこの文体を日本語に置き換えようとしている。したがって、日本語になっているからといって、読むのに忍耐が必要でないなどということはない。

 風もなく暑くて物うく死んだような長い九月の午後の、二時すこし過ぎからほとんど日暮れ近くまで、二人は、ミス・コールドフィールドが父親がそう呼んでいたままに今でも仕事場オフィスと読んでいる部屋に坐っていた――それは薄暗くて暑くてむっとする部屋で、ブラインドは、彼女がまだ娘の頃光と風は暑さを運ぶので暗がりの方がいつでも涼しいという人があったので、四十三年のあいだどれもみな降ろされて戸締りされており、それ故その部屋の中では(太陽が家のそちら側をいよいよまともに照り付けるにつれて)ほこりの立ち込めた黄色いすじが格子模様をつくるようになるのだったが、クェンティンにはその埃は、ペンキの剥げかけたブラインドからまるで風にでも運ばれたように部屋の中に吹き込んできた、かさかさに干あがった古いペンキの粉末そのもののように思えるのだった。(上p.7)

広告を非表示にする