本の覚書

本と語学のはなし

孤独の発明

 I was living that year in a minuscule sixth-floor maid’s room barely large enough for a bed, a table, a chair, and a sink. The windows and little balcony stared into the face of one of the stone angels that jutted from St. Germain Auxerrois: the Louvre to my left, Les Halles off to my right, and Montmartre in the far distance ahead. I had a great fondness for that room, and many of the poems that later appeared in my first book were written there. (p.63-64)

 私はその年、六階にあるおそろしく狭い女中部屋に住んでいた。ベッド、テーブル、椅子一脚、流し。それでもう部屋はぎっしりだった。小さなバルコニーのある窓は、サン=ジェルマン・オセロワ教会からつき出た石の天使の顔と向き合っていた。左手にルーヴルがあり、右手奥に中央市場、正面の彼方にはモンマルトルが見えた。私はその部屋に深い愛着を感じていた。やがて最初の詩集に収められることになる詩の大半もここで書いた。(p.108)

 ポール・オースターのパリでの住まいの記述。女中部屋というのは最上階にある屋根裏部屋のこと。翻訳では椅子だけ「一脚」と明示しているけど、原文を見れば分かる通り、ベッドもテーブルも流しももちろん一つだけしか置く余裕がない。家賃は他の部屋より安いはずだが、場所はすこぶるよい。パリのど真ん中だ。食うや食わずの生活をしていたとは言え、豊かさを感じさせる。
 ちなみに、『花のノートルダム*1のディヴィーヌが住んでいたのはモンマルトルの屋根裏部屋であった。もちろん安いからでもあったろうけど、彼女の職業柄、仕事部屋としても便利だったのだろう。


 さて、2010年代は英米文学フランス文学と日本古典文学の3本柱で行こうと思う。やがてそれが2本になり、1本になるかもしれない。古典は『源氏物語』さえ読めば満足するかもしれないし、フランス語は所詮マスターできないと諦めるかもしれないし、英語は最初から嫌いだったんだとうっかり思い出すかもしれない。
 次の10年に残すものについては(いくつ残すにせよ)、誇れるだけの力を身につけ、生涯続けていくだけの愛情を持ちたい。


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