本の覚書

本と語学のはなし

ダロウェイ夫人


 タイムは辞書をほとんど使わず大意を取る読み方に変え、読解の中心を文学に移したおかげで、このところ『ダロウェイ夫人』がはかどっている。とはいえ、ときどき詩的なイメージが連なって何度も読み返さないと意味の分からない文章が出てくるので、残り4分の1を終えるのにあと10日くらいはかかりそうだ。
 たまにはウルフの文章も書き抜いておこう。『ダロウェイ夫人』の中では中程度の難易度の文章だと思う。しかし、翻訳するとなるとなかなか難しい。

 The feet of those people busy about their activities, hands putting stone to stone, minds eternally occupied not with trivial chatterings (comparing women to poplars―which was rather exciting, of course, but very silly), but with thoughts of ships, of business, of law, of administration, and with it all so stately (she was in the Temple), gay (there was the river), pious (there was the Church), made her quite determined, whatever her mother might say, to become either a farmer or a doctor. But she was, of course, rather lazy. (p.151)

 それぞれの仕事で忙しく働きまわる人たちの足、ひとつずつ石を積み重ねてゆく手、くだらないおしゃべり(女性をポプラにたとえる類の――なるほど面白いけど、ひどく馬鹿げているわ)のためではなく、船や商売や法律や行政について考えるために動きつづけている頭、それに厳かな仕事(彼女はテンプルにいた)や陽気な仕事(そこにはテムズ川が流れていた)や敬虔な仕事(そこには教会があった)に従事している人々――それらを見ているうちに、エリザベスは、お母さまがなんと言おうと農場主か医者になろう、と決意を固めていた。でもわたしはどちらかというと怠けものにはちがいないけれど。(p.243-244)


 読解の中心に文学を据えたのは、外で働くことを意識してのことである。本当にやりたいことに力を入れ、それ以外のことは縮小するか割愛することにした。
 仮に塾で働くとすると、だいたいこんな1日になる。午前中、社会(政経、世界史、日本史)と英作文(30分)、仏文学(30分)、英米文学(2時間)。午後、通勤の車中で英語かフランス語のCD、休憩中にタイム速読(1時間、食事は摂らないかごく簡単に済ませる)、仕事(8時間)。帰宅後、読書(1時間くらい)。平日に日記を書く時間はないかもしれない。古文は諦めるしかなさそうだ。
 しかし、2年半もひきこもり生活を続けているせいで、なかなか職安に行くことができない。