本の覚書

本と語学のはなし

『ビリー・バッド』


メルヴィル『ビリー・バッド』(坂下昇訳、岩波文庫
 ビリー・バッドは商船から軍艦へと強制徴募された、単純素朴で無垢な男であった。彼を妬む兵曹長は、ビリーが反乱を企んでいると艦長に讒訴する。弁明を求められるビリーは、しかしこんな時には吃る癖があった。言葉をうまく発することができぬ間に、手が先に出てしまい、運悪く兵曹長を撲殺してしまう。直ちに軍法会議にかけられ、死罪と判決を受け、マストを用いて首をくくられ、ハンモックに縫い付けられ(鼻に針を通すのが正式らしい)、砲弾をくくりつけられ、海に葬られる。
 ビリーはキリストのようであるし、ドストエフスキーが『白痴』に登場させたムイシュキン公爵のようでもある。カミュはこの作品に不条理を受け取ったようで、言われてみればビリーにはムルソーの祖形のようなところもある。だが、これをどう咀嚼すべきかは、テキストのはらむ問題も含めて(これは私のような素人の出る幕ではないけど)、俄かには決しがたい。ただ、ビリーのような無垢の精神を造形し、それを十字架につけてしまわなければならなかったメルヴィルを思うと、少し苦しい気分になる。影響を受けたというグノーシスの二元論的対立を図式的に描いただけではない、何かがある。
 『白鯨』を読んですっかりメルヴィル・ファンになったが、あらためてメルヴィルは面白いと思う。難を言えば、翻訳がやや古い。それに輪をかけて、訳注の文章は癖があり分かりにくい。


 折しも岩波文庫の『幽霊船 他一篇』(他一篇の方は「バートルビー」)が今月復刊になったので、さっそく注文しておいた(ついでに『ホーソーン短篇小説集』も。ともに坂下昇訳)。
 市の図書館には国書刊行会の全集がそろっているのだけど、なぜか持ち出し禁止なので読むことはできなさそう。どのみち坂下昇訳なので、そう簡単に読めそうにはないけど。


 最近は早くも夏バテ気味。朝方に意外と冷え込むので、体を冷やしてしまうのが一番の原因だろうと思う。午前中にタイムやディプロを読むともう持たない。読書は遅々として進まない。

ビリー・バッド (岩波文庫 赤 308-4)

ビリー・バッド (岩波文庫 赤 308-4)