本の覚書

本と語学のはなし

『中原中也詩集』


●『中原中也詩集』(吉田凞生編、新潮文庫
 翻訳詩集を読み続けることに限界を感じて、じゃあ日本語で書かれた詩はどうだろうかと手元にある『中原中也詩集』を開いてみた。しかし、まるで速読の練習をしてでもいるかのような超特急で、詩集をこんな風に扱っては絶対にいけないと反省する暇もないほどである。
 中学3年か高校1年の時に岩波文庫版を読んで溜め息をついた。そして今でもその最後の息を完全には吐き切っていない。私の書く文章は、たとえ他人の眼にはその痕跡を認め得ぬとしても、今なお中原中也に毒され続けているのだ。だからこれは、当時読んで夢中になったものの大半が、現在はただ幻滅しか与えぬであろうと期待してのことであった。いくぶん復讐じみた仕打ちであったのだろう。
 ベトちゃん、シュバちゃんだの、いざ知らねだの、ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよーんだのにももれなく付箋をつけておいたが、どうかとすると今でも模倣してしまいそうになる(詩は書いてないからもちろん散文のことであり、主として日記に書く文章のことである)2篇の詩の冒頭を書き抜いておく。

今宵月は蘘荷(めうが)を食ひ過ぎてゐる
済製場の屋根の下にブラ下つた琵琶の鳴るとしも想へぬ
石灰の匂ひがしたって怖(おぢ)けるには及ばぬ
灌木がその個性を砥いでゐる
姉妹は眠つた、母親は紅殻色(べんがらいろ)の格子を締めた!
 月, p.117

海にゐるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、
あれは、浪ばかり。
 北の海, p.157


 日本語で書かれた詩はどうだろうかという最初の問いは置き去りにされた。まあよい。詩は欧米のものを原文で読むことで決まりだ。それとて忙しくなれば真っ先にリストラされるに違いないけど。


中原中也詩集 (新潮文庫)

中原中也詩集 (新潮文庫)

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