本の覚書

本と語学のはなし

『若き詩人への手紙・若き女性への手紙』


リルケ『若き詩人への手紙・若き女性への手紙』(高安国世訳、新潮文庫
 しばしボードレールを中断して、リルケ特集を継続する。「私はまだ手紙を精神交流の一つの手段、最も美しく収穫多い手段の一つと考えている旧式な人間の一人です」(「女性」1919年8月2日付, p.81)と言うだけあって、見ず知らずの人に対しても、実に丁寧に書いている。収録された手紙はリルケからのものだけで、往復書簡集ではないのだけど、書かれた内容には普遍的価値があり、それだけで独立した作品になりうるものだ。

誰もあなたに助言したり手助けしたりすることはできません、誰も。ただ一つの手段があるきりです。自らの内へおはいりなさい。あなたが書かずにいられない根拠を深くさぐって下さい。それがあなたの心の最も深い所に根を張っているかどうかをしらべてごらんなさい。もしあなたが書くことを止められたら、死ななければならないかどうか、自分自身に告白して下さい。(「詩人」1903年2月17日付, pp.14-15)


 しかし、この若き詩人カプス君は、後に、リルケが批判したジャーナリズムに頼り、週間新聞に大衆小説を書いていたそうだ。


 リルケの著作集を原文で買ってみようかとずいぶん迷っている。しかし英語とフランス語以外いずれ諦めてしまう可能性は高いのだから、詩を原文で読むことにこだわるならイギリスかアメリカかフランスの詩人の中から見つければいいではないかとも思う。これから『ドゥイノの悲歌』と『リルケ詩集』を翻訳で読む。果たしてそんなおざなりな考え(でもないけど)を覆すだけの運命的な出会いとなるだろうか。

私の著書に関しましては、できれば私はあなたの喜ばれそうなものをすっかりお送りして差上げたいのです。しかし私は大へん貧しく、私の著書は一度出版されてしまうともう私のものではなくなってしまうのです。私は自分で自分の本を買うことができません――そしてよく私はそうしたいと思いながらも、喜んでもらえる人に上げることもできないのです。(「詩人」1903年4月23日付, p.28)