本の覚書

本と語学のはなし

予定変更


 新しいものに取り掛かる前に、ペトロニウスの『サテュリコン』を終わらせることにする。その後はメルヴィルの『白鯨』ではないかと思う。気が変わりやすくて困る。うっかり日記も書けない。3日前の3つの予定の内、既に2つが変更されようとしているのだ。
 第1に、『サテュリコン』は長編の息抜きのために用意した脇役であって、その後はラブレーの『ガルガンチュワ』が襲うはずであった。しかし、広げ過ぎた手は畳まなくてはならない。『ガルガンチュワ』を諦めたわけではないが、毎日1章ずつというような読み方はやめておこう。
 第2に、次の長編はトルストイの『戦争と平和』であるはずだった。だが、原典講読を読書の中心に戻したくなってきたし、そろそろトライアルの結果が出る頃だから、どちらに転ぶにしろ、1日中本ばかり読んでいる訳にもいかなくなる。日本語による読書を縮小するとすれば、2300ページ余りにびっしり詰まった小さな文字群はほとんど凶器のように見える。原典で読む予定のない(もしくは原典で読む前に翻訳に目を通しておきたい)ものの中から、今現在読みたいもの、マストと考えているものを優先していこう。『戦争と平和』は一番後回しになるし、ひょっとしたら一生読まないかもしれない。


 こうして、スピノザに力を入れるという最後の予定のみが残されたわけだが、これを遂行できるか否かは意志の問題ではない。哲学は難しい。カントのある種の著作のように理路を詰めていけば何とかついていけるものもあるけど、レヴィナスのようにアイディアそのものは単純に見えるものの故意に晦渋な表現が連ねられる場合もある。ヘーゲルのように1行たりとも理解したくない、断固拒否をすると言いたくなる文章もある。優れた悟性と忍耐力を欠いた人間が哲学を読むには、相性に恃むしかない。