本の覚書

本と語学のはなし

今後の予定


 『魔の山』の読了にはあと3日かかる。急げば2日で終わるけど、長編は終点が見えてくるにつれ、だんだんと別れが惜しくなってくるのだ。手に疲労を覚える下巻800ページの重みにも愛着が湧いている。
 とはいえ、次に何を読むかというのは常に考えている。ずっと『白鯨』が最有力候補だったのだが、長さに全く恐怖を覚えない今の内に、私が持っている小説の中で一番長い『戦争と平和』に挑戦しておくべきではないかと俄かに思い立った。今を逃したら、もう一生読む気にならないかもしれない。私はなんだか晩年を生きているような気分になっていて、うっかりすると、未来には『戦争と平和』を読むだけの時間も気力も残されていないと信じ込んでいることがある。
 『サテュリコン』は単発の息抜きのはずであったが、これもまた老い先短いという妄想に駆られて、その後は、ずっと読む気になれずにいた『ガルガンチュワ』に少しずつ取り組んでいくことを予定している。私が持っているのは渡辺一夫訳。
 思想の面では、今年はスピノザの年にしたい(多分、道元と交互に読むことになるが)。哲学は私の頭ではほとんど理解できないけど、似たような傾向の人の文章であれば案外持って回った言い方でもすんなり頭に入ることがある。スピノザがその人であると信じたい。

 定理18 神はあらゆるものの内在的原因であって超越的原因ではない。
 証明 在るものはすべて神のうちに在りかつ神によって考えられなけらばならぬ(定理15により)。したがって(この部の定理16の系1により)神はその中に在るものの原因である。これが第1の点である。次に神のほかにはいかなる実体も存在しえない(定理14により)。言いかえれば(定義3により)神の外にあって自立するようないかなるものも存在しえない。これが第2の点であった。ゆえに神はあらゆるものの内在的原因であって超越的原因ではない。Q.E.D. (『エチカ』上p.64、漢数字はアラビア数字に変更した)


 スピノザの神は超越ではない。超越を認めない哲学に他者の問題が考えられるのかという点にも注目していきたい。


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