本の覚書

本と語学のはなし

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 昨日から『魔の山』と並行してペトロニウスの『サテュリコン』(岩波文庫)を読み始めた。疲れたらニーチェ絶賛の古代ローマピカレスクに逃避する。予想以上にすごそうだ。

 そこでぼくはこう信じて疑わない。今日の修辞学校は、若者たちを無類の馬鹿者にしているのだと。なぜかといえば、ぼくらが日常生活で体験しているものを、若者たちは学校で何ひとつ聞いたり見たりしないのだから。それどころか彼らが授業で課される演説の主題ときたら、鎖をかけられて海岸に立っている海賊であったり、息子らに自分の父親の首を刎ねよと命じる布告を起草せんとする暴君であったり、伝染病についてうかがいをたてると、三人かそれ以上の処女を生贄にせよと告げられた神託であったりして、いずれにせよ、蜂蜜をたっぷりつけた饒舌の塊であり、あらゆるものにことごとく、芥子や胡麻の実をまぶしたかと思われる発言と所作なのです。(p.12)


 『魔の山』の方は今日から下巻に入った。あと800ページ! 会話で改行を多用しスカスカになっているページなんてほとんどない。原典講読も頑張らなくてはいけないし、無理せずちょっとペースを落とすことにする。
 『魔の山』はいずれ原文で読んでみたい気もするが、医学用語満載で日本語で読んでいても気の遠くなりそうな箇所があるし、電子辞書がないと無理そうだなあと思う。ヘッセの『青春は美わし』ですら、時々紙の辞書を引くのが面倒で仕方なくなる。そういえば、私が最初に挑戦したドイツ語原典はヘッセの『車輪の下』だった。もちろん力不足だったことは否めないけれど、挫折の直接の原因は動植物の名前をいちいち調べるのに嫌気が差したからだった。しかし、ドイツ語をママゴトで終わらせないという強固な意志を抱かない限り、電子辞書は高い買い物に終わってしまうだろう。もう数冊読んでから決めることにしたい。


 衝動的にスピノザ『エチカ』(岩波文庫)も始めてしまった。過去に翻訳でも原文でも途中まで読んだことはあるが、第三部から先は未踏である。今回も途中で挫けるだろうけど、それはそれでよい。私が一番欲しているのは、神について書かれた第一部だろうから。