本の覚書

本と語学のはなし

購入


マーク・トウェイン『ハックルベリ・フィンの冒険』(大久保博訳、角川文庫)
小島信夫『残光』(新潮文庫


 この数日、筋肉痛になるほど本棚整理に夢中になっていた。といっても、筋肉痛になったのは運動不足のせいであって、整理自体は大規模なものではない。仕事はまだ何も決まっていないけど一応今の路線で進むとし、読書は文学が中心で、今後はなるべく本を増やさないという前提のもとであるから、本気を出せば本棚1台分くらいは処分できただろうが、大部分はとりあえず残しておいて、配置だけを少々変更したのである。
 しかし、本当に持っていたい本はどれだけあるのだろうか。数冊残して全部捨ててしまっても一向に構わないような気もする。学生時代一番の読書家として知られていたマルクシスト君の場合、本は図書館で借りるか古本屋で買って読了後にまた売り払う(多くの馴染みの古本屋があった)というのが基本スタイルで、自分で所有していたのはマルクスドストエフスキーとたしか本多勝一(高校時代の思い出のために)だけだったという。彼の部屋に遊びに行ったことのあるF君がそう証言していた。
 今後は本を買うまいと思う。買うのは文庫落ちした文学作品のうち再読する(に違いない)もの、または仕事で必要なものだけ。一度読むべき本は二度読むべきであり、再読に値しない本は一読の価値もない、と誰か昔の偉人が言っていたような気もするけど、現代ではそんな悠長なことを実践するわけにもいかないから、買わないけど読みたい本も出てくるはずだ。これまであまり利用しなかったけど、図書館にある本は借りる。図書館にない本は、売ることを前提に買う、もしくは諦める。古本でも構わない。


 ブックオフに本を少し売ってきた。査定を待つ間、さっそく古本を物色してみたが、図書館で借りるべき本はあっても、所有しておきたい本はまったく置いてない。
 散髪の後、大きな本屋に行って『ハックルベリ・フィンの冒険』と『残光』を購入。前者は池澤夏樹の本の中で紹介されていた。私が持ってないのは、あと『ユリシーズ』と『アブサロム、アブサロム!』。これに加えて『失われた時を求めて』だけは必ず買うつもり。しかし、わが市の文化水準を反映してか、これらは店頭に置いてなかった。後者は高橋源一郎が夕べのツイッターの中で紹介していた。高橋は最新作のメイキングを夜毎連続ツイートしていて、私も初めの2日だけはきちんと読んだけど、それ以降は翌日にちらっと一瞥するだけ。だから夕べも『残光』を話題にしているらしいということを知っているだけで、内容までは分からない(情報を得るためにと思ってツイッターのアカウントを残しているが、最近は読むのも面倒くさい)。
 最後にガソリンスタンドで給油(約5カ月ぶり)。筋肉痛のせいだか、床屋とガソリンスタンドという嫌いな場所に一遍に行ったせいだか、帰宅後に昼寝する。まどろみながらふと思う。哲学を読んでいた時、高校時代と大学時代のことをよく思い出した。文学を読むと、中学校と小学校の頃のことを思い出す。あの頃はいつでも動悸が激しかった気がするが、なんだか今もドキドキしてないか。