本の覚書

本と語学のはなし

理想と現実


 昼夜逆転気味の生活になっている。
 英語もフランス語も日本語並みには読めないので苦労している。英語の本を数日で読み、フランス語の本を数日で読み、和書を数日で読み、タイムが届けばその日の内に大方目を通してしまう。そんな理想の生活には程遠い。
 最近は英仏のヒアリング、日経新聞、歴史参考書、タイム、仏文学、読書を日課にしている。これでもやることが多すぎる気がする。英仏の読解について、実力以上の過剰な分量を目指しているせいもある。
 読書枠の中で、カポーティの『ティファニーで朝食を』と池澤夏樹の『世界文学を読みほどく』を併読している。カポーティはやっと少し面白くなってきた。相変わらず会話文にてこずり捗らないけど。今後、英語で書かれた小説は必ず原文で読もうと、ちょっと前までは思っていた。果たしてどうだろう。たとえば『白鯨』なんか日本語で読んだっていいじゃないか。志が低くなったのか。しかし、これが現実的な線である。池澤の講義を読むと、もっと貪欲に文学に浸らなくてはいけないと思うのだけど、『ティファニー』のペースでは到底世界を見渡すことはできない。池澤の本は、難しい理論を振り回すことなく、作家の視点から具体に則して名作を読み解くもので、彼の好みも直に聞くことができて面白い(『アンナ・カレーニナ』は嫌い、三島由紀夫は大嫌い、とか)。


 今何を目指すべきか。先ずはタイムをカバー・トゥ・カバーで読むことを。