本の覚書

本と語学のはなし

Bonjour tristesse


 なんだかのんびり過ごしていて、未だに次の一歩を踏み出していない。いつの間にか、また昼夜が逆転しているし。


■『悲しみよこんにちは』は、最初『異邦人』にインスピレーションを受けているような気がしたが、朝吹登水子による1954年12月(作品を発表した年である!)のインタビューで、サガン本人は「カミュも好きですが、サルトルほどではありません」と言っている。作品を読んでいても、だんだんその通りだと思えてくる。

Je préférerais par moments l’avoir fait volontairement avec haine et violence. Que je puisse au moins me mettre en accusation, moi, et non pas la paresse, le soleil et les baisers de Cyril. (p.92)

私は時どき、暴力と憎悪をもって、進んでこのことをやったほうがよかったと望んだ。なぜなら、怠けや、太陽や、シリルの接吻のせいにせずに、せめて自分自身を糾弾することができたからだ。(90頁)


【訂正】語訳の疑いを指摘した文章は、誤訳ではない可能性の方が高いと考えて削除しました。


■新訳が出ていることに漸く気がついた。しかも朝吹訳はもう絶版だ。したがって、誤訳の疑いを書きつけることは全く生産的ではないだろうからこれでやめておく。朝吹訳には功もあれば罪もあるけど、中学か高校の頃にこれを読んで、サガンが意図した以上の晦渋さ(時としてサガンが意図しなかったナンセンスさ)に憧れと幻想を抱くのもまた、青春のあるべき姿かもしれない。


■何とか来週中には読み終わりそうだ。しかし、案外簡単には読み進められない。