本の覚書

本と語学のはなし

『道元禅師』


●鏡島元隆『道元禅師』(春秋社)
 著者は宗門の学者なので、やや護教的な響きもないではないし、バランスを重視している感もなくはないが、主な論点を整理するためには非常にいい本だ。
 特に重要なのは、歴史的には道元の俗系と鎌倉行化の問題、書誌学的には七十五巻本と十二巻本『正法眼蔵』のいずれが道元の真意に適うのかという問題、思想的には両系の『正法眼蔵』の位置づけ・意義づけの問題であるという。
 著者の説を簡単にまとめておく。


(1) 道元の父は普通久我通親とされているが、その息子の通具であるはずだ。
(2) 鎌倉に赴いたのは「俗弟子檀那」の波多野義重の屈請によるもので、北条時頼が招いたのではない。この時の『白衣舎示誡』は道元の真撰ではない。伝記作者の権力志向性がかえって道元像を傷つけている。
(3) 七十五巻本と十二巻本はいずれも『正法眼蔵』の主流であって、互いに補い合うものである。前者は『法華経』の本門、後者は迹門を意識したものだろう。


 十二巻本を重視し、七十五巻本を軽視ないし否定する場合、晩年の道元はかつての覚りを撤回し、あらためて仏になろうとしたのだとまで考える人もあるらしい。著者に言わせれば、その説が依拠する「尽際未来吉祥山を離れざる示衆」というのは、北条時頼による招請という虚構の事実を埋め合わせるためにつくられた虚構の作品だということになる。むしろ晩年に思想上の変化があったとすれば、釈迦如来へと帰着し、凡聖の対立を突き抜けて凡夫に還ったのではないかという。
 私も基本的には著者の説の線に沿って道元を読んでいきたい。

慧能は仏法を悟りの宗教と把えることによって、悟りから坐禅を解放したが、道元禅師は逆に仏法を坐禅の宗教と把えることによって、坐禅から悟りを解放したのである。ここに、中国禅と異なる道元禅の日本的特色があると言えよう。(51頁)

道元禅師

道元禅師