本の覚書

本と語学のはなし

The Republic


 『国家』の藤沢訳。

 Οὐ καὶ ἡ τέχνη, ἦν δ’ἐγώ, ἐπὶ τούτῳ πέφυκεν, ἐπὶ τῷ τὸ ξυμφέρον ἑκάστῳ ζητεῖν τε καὶ ἐκπορίζειν ; (341D)

 「そして技術そのものもまた」とぼくは言った、「本来はまさにそのことのために存在するのではないか? すなわち、それぞれの利益になることを追求し、実現するためにあるのではないか」(上59頁)


 ギリシア語の入力はことのほか楽しい。そのためだけに記事を仕立てようというのだから、これから書くことはついででしかない。


 原文は、最初に「ἐπὶ τούτῳ」(そのことのため)と指示代名詞を出しておいて、その具体的な内容を後半「ἐπὶ τῷ」以下に同格で提示している。ちなみに「τῷ」は定冠詞で、目的語を含む不定詞の文章全体を名詞化している。それゆえ「ἐπί」という前置詞の目的語たりうるのである。ギリシア語というのは、我々が想像する以上に恐るべき能力を持った言語である。
 翻訳がもってまわったような言い方になっているのは、原文の構造を律儀に再現しているからである。*1古典語だからか、哲学だからか、プラトンの翻訳はだいたいこんな感じである。日本語としての自然さは犠牲にしてでも、原文に忠実であることが追及されるのだ。
 この頃翻訳の勉強をしていて痛感するのは、私の基本的スタイルはぎこちない生硬さに毒されているということ。きっと学生時代にこんな翻訳ばかり読んできたせいだろう。直さねばと思う一方で、愚直さには思い入れがあったりして、なかなか翻訳はうまくならない。

*1:英訳でも似たような訳し方をしている。“And is it not true,” said I, “that the art naturally exists for this, to discover and provide for each his advantage?”

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