本の覚書

本と語学のはなし

Aeneid


 『アエネーイス』の泉井訳。

 ipsa tenens dextra pateram pulcherrima Dido
 candentis vaccae media inter cornua fundit
 aut ante ora deum pinguis spatiatur ad aras
 instauratque diem donis, pecudumque reclusis
 pectoribus inhians spirantia consulit exta. (4.60-64)

 ディードー自身はみめかたち、こよなくきれいな様子して、
 右に神酒の杯を持ち、白い牝牛の両角の
 間に捧げの酒そそぎ、あるいは諸神の御前の、
 手厚い犠牲の祭壇に、一々詣でて御供により、
 日々の祭りを新しく、正しながら家畜らの、
 切り開かれた胸中に、ひとみをこらし、息のある
 その内臓を占わす。 (上210頁)


 犠牲に供された牛の胸を切り開き、まだ動いている内臓を見て吉凶を占う。占いも時に結構残酷なものである。
 この記述とは関係ないのだが、私は常々、なぜハートマークが平然と世の中に流通しているのかと不思議に思っている。あれを見るたび、生々しい心臓以外の何物でもないではないかと抗議したくなるのだ。
 あれがありなら、赤心を表わすハラワタだって、割腹したところから取り出す様が図案化されていいのではないか。

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