本の覚書

本と語学のはなし

A Christmas Carol


 『クリスマス・カロル』の村岡訳と池訳は、ところどころ解釈が異なっている。今後はいちいちあげつらうことはないだろうが、今日は気がついたところを少しだけ。

 This lunatic, in letting Scrooge’s nephew out, had let two other people in.

 この頭のおかしい書記はスクルージの甥を送り出すと、入れちがいに二人の客を招じ入れた。(村岡訳,16頁)

 自身を狂人になぞらえたスクルージは、甥を見送るのと入れ違いに二人の客を請じ入れた。(池訳,20頁)


 「This lunatic」がスクルージなのか、彼に雇われている書記(助手)なのか、意見が分かれる。この文章の直前、スクルージは書記(助手)をばかもの(阿呆)と決めつけ、「一週十五シリングで女房子供を養ってる俺の書記が何でクリスマスがめでたいんだ。精神病院へでも逃げ込みたくなるよ」と言っているから、どちらにも根拠はあるようだが、池訳の方が正しいのではないだろうか。

 It certainly was; for they had been two kindred spirits.

 それに間違いはない。彼ら二人の精神はまったく一致していた。(村岡訳,17頁)

 スクルージとマーリーは親戚だったから、なるほど、男の言うとおりには違いなかった。(池訳,21頁)


 これは、募金を求める男が「マーレイ(マーリー)さんの御親切な気持は、あとにお残りのあなたにも伝わっているものと私どもは考えておりますのでな」とスクルージに言ったのを受けた文章。「two kindred spirits」が精神的な類似を言っているのか、血縁関係のことを言っているのかで意見が異なる。「親切」ではないにしろ、「気持ち」を受け継いでいるという点では、精神的な類似を言っているのだと考える方が自然ではないだろうか。原文にも「spirits」とあるのだし、あえて血縁とする理由がよく分からない。

 “If they would rather die,”said Scrooge, “they had better do it, and decrease the surplus population. Besides――excuse me――I don’t know that.”

 「死にたい奴らには死なせたらいいさ。そうして余計な人口を減らすんだな。それに――失礼だが――どうも私には分からない」(村岡訳,18頁)

 「だったらさっさと死ねばいい」スクルージは言い放った。「余計な人口が減って、世のためというもんだ。それに……、ああ、失礼……、どうなろうと私の知ったことではない」(池訳,23頁)


 「I don’t know that」が、村岡訳では慈善活動の趣旨が理解できないという感じで訳されているのに対して、池訳では直前の自分の失言を、少し和らげて言い直したという風になっている。『ジーニアス英和大辞典』の成句欄を見ると、「[相手の発言を否定して]そうではないでしょう、そんなことはありませんよ」という意味があるようだが、ここではぴったり当てはまる感じではない。
 この後、慈善活動家の方は「But you might know that.」と返すが、村岡訳では「分かってくだすってもいいはずですがね」となり、池訳では「そこを、一つお考えいただいて」となっている。
 直感的には池訳の方がよさそうだが、私は口語表現にめっぽう弱いので、そんな気がするというだけの話。


 このペースでは、開くページごとにどちらかが誤訳(?)している計算になる。
 村岡訳に対しては信頼を失いつつある。翻訳を見るのをやめようか。しかし、これだけ専門家が別解を提出するテキストを、独力で正しく読めるはずがない。どうしよう。