本の覚書

本と語学のはなし

A Christmas Carol


 徹夜で通信講座の課題を仕上げ、午前中に投函する。銀行でお金をおろし、車屋に行って支払いをし、図書館で『クリスマス・キャロル』の新訳を借り、最後に床屋に行って散髪する。午後、漸く眠る。


 一昨日書き抜いた『クリスマス・キャロル』の原文に対する池央耿訳(光文社古典新訳文庫)。

 「気を悪くしないでくださいよ、伯父さん。ねえ、明日、うちへ食事に来ませんか」
 スクルージは、まっぴらごめん、と断った。それが嘘でない証拠に、出るままに悪態の限りを並べた挙句、スクルージは甥を罰当たりと罵った。(18頁)


 最初はびっくりして、超訳だろうかと疑った。しかし、どうやら私の読み方が根本的に間違っていたようだ。
 第一に、「see」には軽い捨てぜりふとして「〜する方がましだ、するのはまっぴらだ」という意味がある。『ランダムハウス英和大辞典』の例文を見てみよう。

 I’ll see you in hell before I sell you this house.
 この家を君なんかに売るなんてとんでもない。


 私はスクルージが「I will see you」と言った時点では、スクルージが招待を受けたという印象を甥に与えたのだと考えていた。村岡訳もその線で考えているはずだ。しかし、池訳によれば、最初の一言からして誤解の余地のない悪態だったのだ。だから「yes, indeed he did」が「それが嘘でない証拠に」となるのだ。


 第二に、『リーダーズ英和辞典』を見ると、「go the whole length」にはイディオムとして「存分に〜する、言う」という意味がある。まさに池訳が「悪態の限りを並べた」としているのがそれである。
 私はといえば、そのようなイディオムの存在を全く知らず、調べもせず、スクルージの発話は「I will see you」で終了したのではなくて、その表現はさらに続き、それをフルに示せば「I will see you in that extremity first.」になったのだと考えたいた。つまり、スクルージが言ったのは全部でこれだけであり、その前半部分において抱かせた期待を、後半部分で粉みじんに砕いた、この文章はそういうサスペンスを強調しているのだと解釈していた。
 村岡訳も同じ解釈をした上で、日本語に移しにくいので改変を加えたのだと考えていたのだけど、どうだろう。「その通りの言いかたで」という訳の根拠は私には分からないし、何とも言えない。


 ただ、今一つ釈然としない。なぜだろう。

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