本の覚書

本と語学のはなし

The Moon and Sixpence


 『月と六ペンス』の行方訳。

 I wonder if Abraham really had made a hash of life. Is to do what you most want, to live under the conditions that please you, in peace with yourself, to make a hash of life; and is it success to be an eminent surgeon with ten thousand a year and a beautiful wife? I suppose it depends on what meaning you attach to life, the claim which you acknowledge to society, and the claim of the individual. But again I held my tongue, for who am I to argue with a knight?

 果たしてエイブラハムは一生を棒に振ったのだろうか。自分の気に入った土地で、自分がぜひともやりたいことを心安らかにやるというのは、人生を棒に振ることだろうか。著名な外科医となって年収一万ポンドを稼ぎ、美人を妻にすることが、成功なのだろうか。それは結局、人が人生に何を期待するか、社会に何を期待するか、個人に何を期待するか、によるのだろう。だが、僕は依然として黙っていた。なぜなら、ナイト爵位を持った相手に向かって、僕ごときが反論しても仕方なかったではないか!(326頁)


 翻訳研究というより、単に抜き書きしておきたかっただけ。
 エイブラハムの物語は、『月と六ペンス』全体の中では余計な一挿話にすぎない。第一に、話ができすぎている。第二に、エイブラハムにしろナイト爵位を授与されたカーマイケルにしろ、人物造形が型にはまりすぎていて、何かのカリカチュアにしか見えない。そして、ここに書き抜いた「僕」の結論も、お世辞にも精彩があるとは言えない。これこそ通俗的ストーリーテラーとしてのモームの本領発揮といったところだ。
 しかし、私は訳もなく「人生を棒に振る」人物には甘いのだ。なくてもいいし、むしろあってはならない一章かもしれないが、私は許してしまうのである。〈for who am I to argue with a knight?〉という締めくくりも気に入っている。

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