本の覚書

本と語学のはなし

アメリカ


★有賀夏紀・油井大三郎編『アメリカの歴史 テーマで読む多文化社会の夢と現実』(有斐閣アルマ)
★有賀夏紀『アメリカの20世紀』上・下(中公新書
★中尾武彦『アメリカの経済政策 強さは維持できるのか』(中公新書
★神谷秀樹『強欲資本主義 ウォール街自爆』(文春新書)
フィッツジェラルドグレート・ギャツビー』(野崎孝訳,新潮文庫
★Charles Dickens『A Christmas Carol 』(Bantam Classic)


 アメリカの政治と経済の歴史を知らないと、「ニューズウィーク」の理解にも、将来の仕事のためにも、不都合である。
 高校時代、アメリカ大統領選挙に夢中になっている友人たちがいて、私にはそれがまったく理解できなかった。今でこそ金融経済の翻訳を世過ぎの手段にしようとしているが、彼らとは違って、私はアメリカでMBAを取得しようと考えるタイプではない。一歩引いたところからではないと、世界と関わることができないようである。


 野崎訳の『グレート・ギャツビー』は原文を読む時に参照する予定。
 村上訳で「オールド・スポート」と翻訳(というより音写)されている言葉は、野崎訳では「親友」となっている。村上の解説によれば、柴田元幸も「オールド・スポート」以外の訳はありえないと太鼓判を押したそうだ。それはともかく、翻訳の勉強のためには野崎訳の方がよさそうな気がする。村上は『ギャツビー』翻訳においては自分が作家であることを最大限利用していると言っている(意訳や改変の限りを尽くしたのではないと断っているが)。
 ところで、昨日本屋でたまたま見かけたのだが、野崎訳の『ライ麦畑』が大量に平積みされている一方で、村上訳の『キャッチャー』は2冊差してあるだけだった。村上訳の売れ行きが好調で入荷が間に合わないという可能性もあるけど、恐らく野崎訳の方がよく売れるのだろう。何故か。田舎なので、まだ村上春樹が『ライ麦畑』の新訳を出版したというニュースが伝わっていないのかもしれない。『キャッチャー』が『ライ麦畑』の新訳だと気付かれていないのかもしれない。『ライ麦畑』の方が素敵なタイトルだと思われているのかもしれない。読み比べた上で野崎訳を選択するのかもしれない。あるいは、村上訳はもうみんな手に入れていて、今度は遡って野崎訳を読んでみたいという人が増えているのかもしれない。あるいは、売上に関係なく、担当者または店長の青春時代からの思い入れだけで野崎訳を押しているのかもしれない。


 ディケンズの『クリスマス・カロル』だけはイギリスもの。今月中に『月と六ペンス』が終わるので(希望的観測)、12月には季節柄『クリスマス・カロル』の原典講読をする予定だ。恥ずかしながらではあるけれど、中学の時にモノクロの映画を見て以来、本は何度も読み返しているし、舞台でも見たことがある。
 私が持っている翻訳は新訳ではなく、新潮文庫村岡花子訳。『赤毛のアン』は読まなかったけど、『クリスマス・カロル』によって私はこの人に大きな恩がある。
 さて、クリスマスには『クリスマス・カロル』を読むことが決まったが(それまでに読了しているということはないはずだ)、年を跨いで読む本は何がいいだろう。

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