本の覚書

本と語学のはなし

『グレート・ギャツビー』


スコット・フィッツジェラルドグレート・ギャツビー』(村上春樹訳,中央公論社
 村上訳を読んでこれはすごいと思う人は、よっぽと文学的な感性に恵まれているに違いない。村上春樹が自分にとって最も大切な小説を翻訳した、ということを知らなければ、読んですぐに記憶から消えてゆくであろうようなものとしか、私には思えなかった。*1
 たぶんフィッツジェラルドのよさは、原文で読まなくては分かりにくいものなのだろう。翻訳講座の課題で『マイ・ロスト・シティー』の一文を読んだことがあるけど、文芸翻訳が苦手な私にはどうしたって訳しようのない詩的な文章であった。村上自身、デリケートなワインは長旅をしないと言って、「これほど美しく英語的に完結した作品」(訳者あとがき336頁)である『グレート・ギャツビー』の翻訳が困難なことを訴えている。
 しかし、翻訳からでも読み取らなくてはいけない肝心なことの一つは、ギャツビーの愚にもつかない恋愛のことなどではなく、彼をその恋へと執着させたもっと根源的な社会的構図であろう。所詮そこに風穴が開くことはないのである。


 最初の数行の原文と翻訳を対照させてみる。

 In my younger and more vulnerable years my father gave me some advise that I’ve been turning over in my mind ever since.
 'Whenever you feel like criticising anyone,’ he told me, ‘just remember that all the people in this world haven’t had the advantages that you’ve had.’
 He didn’t say any more, but we’ve always been unusually communicative in a reserved way, and I understood that he meant a great deal more than that.

 僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ忠告を与えてくれた。その言葉について僕は、ことあるごとに考えをめぐらせてきた。
 「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ」と父は言った。「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではなのだと」
 父はそれ以上の細かい説明をしてくれなかったけれど、父と僕のあいだにはいつも、多くを語らずとも何につけ人並み以上にわかりあえるところがあった。だから、そこにはきっと見かけよりずっと深い意味が込められているのだろうという察しはついた。(9頁)


グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

*1:しかし、世の中には本当に確かな鑑賞眼の持ち主がうようよいるようで、ウェブ書店の評価は絶賛の嵐であった。素晴らしい。