本の覚書

本と語学のはなし

Aeneid


 今日はラテン語を再開する。ウェルギリウスアエネーイス』の第4巻40行目から。かなりよぼよぼで、リハビリをしているみたい。
 もう古典語をマスターしようなどと能力を超えた傲岸不遜な望みは抱かない。ほんの少し嗜む程度に続けて行ったらいいのだ。
 本文とロエーブ叢書の英訳と岩波文庫泉井久之助訳を書き抜いておく。アンナが姉でカルタゴの女王であるディードーにアエネーアースとの結婚を勧めるくだり。ディードーといえば愛に身を捧げた悲劇の女王というイメージであるが、ここは案外打算的な話が続く。彼女たちにしたら死活問題でもあるので仕方ないのだが。

 quam tu urbem, soror, hanc cernes, quae surgere regna
 coniugio tali ! Teucrum comitantibus armis,
 Punica se quantis attollet gloria rebus!

 What a city thou wilt see rise here, my sister, what a realm, by reason of such wedlock ! With Teucrian arms beside us, to what heights will Punic glory soar?

 ここであなたがあのような、夫を得ればどのように、
 ここの都が発展し、この王国がどのように、
 勢い増すかと考える? トロイア軍を道づれに、
 すればどこまでフェニキアの、栄光高くあがるでしょう。


 直ぐに気づくと思うが、泉井の訳は英雄叙事詩の六脚韻を七五調に移し替えている。評価の分かれるところである。名訳という人もたくさんいる。一方で、学生時代カトゥルスを教えてくれた先生は、実に忌々しいといった口吻でけなしていた。私も「こんなの読めるか」と悪態つきながら読み通した記憶がある。
 今原文と対照してみると、たとえば「surgere」という一つの動詞に、英訳は「rise」一つを対応させている。泉井訳では「発展し」と「勢い増す」の二つがこれに対応する。七五調を優先させたためである。これはほんの一例で、やはりどうしても語の対応関係が甘くなっているような気がする。


 少し注意をしておくと、原文の「Teucrum」は詩でなければ普通は「Teucrorum」となる。男性形の複数属格で、「テウクロスの末裔(即ちトロイア人)の」という意味。
 「Punica」は「フェニキアの」という意味の形容詞。カルタゴはもともとフェニキアの植民地なので、本国と同じ形容詞が使われるのである。しかし、和訳でこれを変換しないのは不親切である。直前のところで「(フェニキアの首都)テュロスから、しかけられる戦争」というような表現もある。知らない人は、何で今や脅威となっている本国フェニキアの栄光のために結婚しなきゃいけないのかと混乱してしまうだろう。