本の覚書

本と語学のはなし

Also sprach Zarathustra


 数年前まで、ドイツ語はニーチェだけ読んでいればいいと思っていた。
 そうだ、ニーチェにしよう。
 ドイツ語の危機を脱し、継続してゆくには、今のところニーチェを選択するのが最善の方法ではないか。とりあえずは『ツァラトゥストラ』だけでもいいかもしれない。
 最終的にドイツ語を救えるかどうかは分からないけれど。


 翻訳は必要ないかも知れないが、一応岩波文庫の氷上英廣のものを参照する。正確さを信用しているわけではない。冒頭の「十年ののちも倦むことを知らなかった」というところからして、厳密に言えば誤訳である*1。しかし、私が現在持っているもう一つの翻訳(ちくま学芸文庫の吉沢伝三郎)より雰囲気のある訳語選択をしている。私が『ツァラトゥストラ』を読むときは、必ず氷上訳である。
 厳密であることに囚われ、ほとんど失語症のような状態に陥っていた学生の頃、初めてこの本を読んだ。これで言葉が使えると思った。以来何度も読み返している。聖書の次によく読んでいる本だと思う。原文でも一度かなり読んだはずだ。読みやすいドイツ語である。


 サブタイトルは有名だ。


□Ein Buch für Alle und Keinen


■だれでも読めるが、だれにも読めない書物


 比較的原文に即した吉沢訳ではこうなる。


■万人のための、そして何びとのためのものでもない一冊の書


 氷上訳に親しんでいる人はびっくりするかもしれない。


 『変身』は池内紀の翻訳術にある程度学んだことで、その役目を終えたということにしておく。

*1:「十年の間」が正しい。